塩湯彦神社とは? わかりやすく解説

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塩湯彦神社

読み方:シオユヒコジンジャ(shioyuhikojinja)

別名 御嶽山

教団 神社本庁

所在 秋田県平鹿郡山内村

祭神 速玉命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

塩湯彦神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/18 19:20 UTC 版)

塩湯彦神社
所在地 秋田県横手市山内大松川字御嶽山3
位置 北緯39度22分03秒 東経140度38分04秒 / 北緯39.36750度 東経140.63444度 / 39.36750; 140.63444 (塩湯彦神社)座標: 北緯39度22分03秒 東経140度38分04秒 / 北緯39.36750度 東経140.63444度 / 39.36750; 140.63444 (塩湯彦神社)
主祭神 速玉尊大山祇命
社格 式内社(小)・郷社
創建 672年白鳳12年)
例祭 6月第3日曜日
地図
塩湯彦神社
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塩湯彦神社(しおゆひこじんじゃ)は、秋田県横手市にある神社である[1]式内小社旧社格は郷社

由緒

社伝によれば672年白鳳12年)、役行者が開基したとされる。「出羽国平鹿郡 鹽湯彦神社」として延喜式に見える、いわゆる式内社である[1][2]。元々は平鹿盆地の東側にそびえる御嶽山の温泉の神であったらしいが[1]熊野修験道の影響を受け[1]、中世には「熊野堂」と称した。そのためか、速玉尊を祭神としている。

一時期荒廃し[1]、同郡内の式内社である保呂羽山波宇志別神社の神職である大友家が別当を務め、神楽役の三梨家が実際の管理を行ってきた。江戸時代に入り秋田藩佐竹義格[1]藩内古社の復興を行った際に復興され、秋田藩三国社として江戸時代を通じて崇敬された。1872年明治5年)郷社となる。

1963年昭和38年)、豪雪により社殿が倒壊し、里宮に祭祀の場が移っていたが、1982年昭和57年)有志により再建された[2][3]

祭神

速玉尊大山祇命[1][2]

祭事

境内外社

  • 里宮塩湯彦鶴ヶ池神社(横手市山内土渕字鶴ケ池)
  • 奥院白滝観音(横手市山内大松川字観音沢)

名所・旧跡

  • 当社の鎮座する御嶽山山麓はユキツバキの大群落の北限である。
  • 里宮の周辺は鶴ケ池公園として整備され近辺に温泉もある。

年表

<>は関連事項

その他

当社の奥院とされている白滝観音信仰からくるものか、修験道の山としては珍しく古くから女人禁制ではない。

出典

関連項目



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