地区名の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:36 UTC 版)
前述の通り、橋本は1889年の合併以降は「相原村」の大字名となった。橋本駅南側の至近に位置する県立高校が神奈川県立相原高等学校と称するのは、この学校の開設当時に相原村に属していたからである(ただし、1922年の開設当初の校名は神奈川県立農蚕学校。1930年に神奈川県立相原農蚕学校と改称し、神奈川県立相原農蚕高等学校を経て1954年に現校名となる)。 相原村に初めて開設された小学校は、相原村立尋常高等旭小学校。この校名が決まるまでには村議会が紛糾した。1903年(明治36年)2月8日から議論を続け、一夜明けた2月9日の早朝、雪が降った一面の銀世界に朝日が輝いた景色を目にした村長が、九日という日にちなんで「旭」という校名にしようと提案し、全員の賛成を得たといわれる。相模原町となってから開設された青年学校や(新制)中学校も同様に旭青年学校(1943年開設)、旭中学校(1947年開設)と称している。また、旧相原村の区域で組織された農業協同組合も旭農業協同組合(現相模原市農業協同組合[JA相模原市]旭支店)を称しており、この区域について「相原」または「橋本」に代えて「旭」という呼称が好まれることもあった。 1941年の合併後、相模原町および相模原市は、合併以前の旧町村にそれぞれ出先機関を設置したが、旧相原村については「橋本」の呼称を用い、現在の橋本まちづくりセンターに続いている。市の行政上も、現在中央区の区域となっている小山・清兵衛新田(清新)地区を除いた旧相原村の区域を橋本地区などと呼ぶことが多い。現在では「橋本」が旧相原村の大部分の区域を指す地区名であり、「相原」はその中の小区域の呼称と認知されているようである。
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