呼称と認知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 07:32 UTC 版)
分布域はモンゴル、中国大陸北部、東シベリア(アムール川流域)、朝鮮半島、済州島(絶滅)、対馬となる。別名アムールヤマネコといい、ツシマヤマネコはアムールヤマネコの1集団とする考え方もある。以前はFelis bengalensis manchuricaとしてマンシュウヤマネコまたはチョウセンヤマネコと呼ぶこともあった。 また、対馬の人々の間では、山に住むトラ毛に因み「とらやま」「とらげ」と呼ばれていた。地域によってはツシマヤマネコの餌となる動物が住む水田付近でも見かけられることから「田ネコ」「里ネコ」と呼んでいた。 なお、地元民にはツシマヤマネコの他に、山に棲息する「オオヤマネコ」が認知され、これらのうち ツシマヤマネコを上記同様に「虎毛」と呼んで区別していたとされる。1972年にも研究者による目撃があるとされる。こちらは頭胴長が約1.2mと既知のヤマネコよりも大型で、毛皮には模様がなくて全身が黄土色の毛で覆われているという。 江戸時代末期に江戸の町名主だった斎藤月岑は嘉永4年(1851年)10月21日、両国橋のたもと見世物にされていた、豊後(現在の大分県)で生け捕られたという触れ込みの「虎」を見物したことを日記に絵付きで描いており、東京大学准教授の藤原重雄は、虎ではなくツシマヤマネコであったであろうと推測している。
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