地下化と高速化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:57 UTC 版)
「阪神1001形電車」の記事における「地下化と高速化」の解説
日本初の本格的なインターアーバンとして登場した阪神本線であったが、当時の軌道条例に基づいて建設されたため、神戸市内や御影周辺に併用軌道区間が存在していたほか、路面から乗降する停留所もあった。また、既存の集落を縫う形で路線を設定したためにカーブが多く、併用軌道区間の存在と併せて、ライバルの阪急神戸線や省線に比べると大きなハンディキャップとなっていた。こうした状況を打開するために重軌条化や線形の改良を進めていたほか、併用軌道区間の立体化を実施、御影周辺の高架化を1929年7月に完成させ、大幅なスピードアップを達成した。次いで、神戸市内の地下化工事を開始、神戸市が整備中の阪神国道の地下を三宮駅まで掘削、1933年6月17日に地下新線を開通させ、阪神本線から併用軌道区間が消滅した。その後も1934年7月の省線電車開業と阪急神戸線三宮延長に対抗する形で、1924年に取得していた三宮 - 湊川間の特許を活用して1936年3月18日に三宮 - 元町間を延長、大阪側のターミナルも、1933年(仮駅。本駅は1935年完成)に開業した地下鉄御堂筋線へのアクセスを向上するために、梅田駅を従来の四ツ橋筋の西側から現在地へ地下化して移転、1939年3月21日に開業した。 このように、地下化、高速化工事が進展するにつれて、木造車をそのまま使用することは防災面から大きな問題があったほか、路面乗降の停留所がなくなったことで、車体からステップを撤去する必要があった。そこで、木造車の台枠や台車、電装品を流用して鋼体化を推進することになり、大正中期に阪神初の総括制御車として登場した301・311・321・331の各形式を種車に、1001形の各形式が登場することとなった。
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