圧力と公的補助の消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:45 UTC 版)
「ジム・ジョーンズ」の記事における「圧力と公的補助の消滅」の解説
詳細は「ティモシー・ストーン(英語版)」および「サンフランシスコにおける人民寺院」を参照 1977年秋、ティム・ストーンは、ジョーンズタウンに親族を残している人民寺院脱退者達とともに団体「憂慮親族」(英語: Concerned Relatives)を結成した。ストーンは1978年1月にワシントンD.C.を訪れ、アメリカ合衆国国務省職員とアメリカ合衆国議会議員と面会した。彼は、ジョーンズに対する彼の不平不満を記述した白書を書いていた。このストーンの努力は、カリフォルニア州選出のアメリカ合衆国下院議員のレオ・ライアンを刺激し、ライアンはストーンの代理としてガイアナ首相のフォーブス・バーナム(英語版)に書簡を書いている。更に憂慮親族は、ストーンの息子・ジョンの保護について、人民寺院側と法定闘争を開始した。 ジョーンズがアメリカを離れると、彼の政治的な同調者の殆どが関係を断ち切ったが、一部は関係を保ったままだった。ウィリー・ブラウンはジョーンズへの支持の表明として、人民寺院の集会で、彼らの敵に対して公然と意見を述べている。その集会には、ハーヴェイ・ミルクや後のサンフランシスコ市長アート・アグノス(英語版)も出席していた。1978年2月19日、ミルクはアメリカ合衆国大統領ジミー・カーターに手紙を書き、その中でジョーンズの事を「最高の品位を持つ人物」と称えており、一方で人民寺院脱退者達を、「あからさまで厚顔無恥な嘘」を使って「聖職者・ジョーンズの評判を傷つけ」ようとしていると糾弾した。モスコーニの事務所は、ジョーンズは何ら法律違反を犯していないというプレスリリースを行っている。 1978年4月11日、憂慮親族は「聖職者・ジェームズ・ウォーレン・ジョーンズによる人権蹂躙の告発」 (英語: Accusation of Human Rights Violations by Rev. James Warren Jones)と題された文書集を、人民寺院やマスコミ関係者、アメリカ合衆国議員たちに配布し始めた。この中には、手紙に加えて宣誓供述書も含まれていた。1978年6月、人民寺院離反者のデボラ・レイトンは、憂慮親族に、ジョーンズタウンでの生活状況と人民寺院によって行われている犯罪の詳細を告発した更なる宣誓供述調書を提供している。 1978年9月にジョーンズは増大する調査に直面しており、著名なケネディ暗殺陰謀論者(英語版)であるマーク・レーン(英語版)とドナルド・フリード(英語版)に対し、アメリカ合衆国情報機関による人民寺院への「壮大な陰謀」という主張を証明するよう依頼した。ジョーンズは、レーンに対して、「エルドリッジ・クリーヴァー(英語版)のようにやりたい」と述べた。クリーヴァーはブラックパンサー党の脱退者であり、評判を回復させてアメリカ合衆国へ帰国を果たした人物だった。
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