圓龍寺建立の詳細年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:50 UTC 版)
「圓龍寺 (豊橋市)」の記事における「圓龍寺建立の詳細年表」の解説
1624年(寛永元年)11月、京都伏見鑓屋町に創建、年代不明に火災にあい復興されないままであった 1888年(明治21年)に山口県人の毛利祥久が毛利新田の開拓を起工した。 1890年(明治23年)、豊橋大谷派別院により毛利新田に説教所を新設した。 1892年(明治25年)、毛利新田の堤防が高潮にて決壊し説教所が流失、その後説教所を牟呂村本村に移した。 1893年(明治26年)、毛利新田が再三再四の天災に会い開発を断念し、神野金之助が全てを買い取り開拓を開始した。 1894年(明治27年)頃から、説教所を廃止して新田内のツノ割に寺院を建立することを検討し決定した。 1895年(明治28年)9月、京都伏見にある圓龍寺の移転を東本願寺並びに京都府と愛知県に出願した。 1896年(明治29年)8月31日、圓龍寺移転の許可を受けると同時に管長に懇願し別助音地の寺格を得る。 1899年(明治32年)、径3尺の梵鐘を鋳造し鐘楼を新築、本堂始め材料収集に着手。 1901年(明治34年)10月16日、地鎮と起工式を実施。 1902年(明治35年)、山城国紀伊郡伏見町字鈴屋町に有った『圓龍寺』の移転手続きを実施。 1902年(明治35年)10月13日、立柱式。 1903年(明治36年)4月15日、上棟式。 1904年(明治37年)4月15日、完成。 1906年(明治39年)10月、宮部円成(1854年-1934年)が初代住職となる。
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