国際グライダー選手権大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:31 UTC 版)
第二次世界大戦後、国際航空連盟 (FAI) は国際グライダー選手権大会を2年おきに開催し、その参加資格を次のように決めた。 国際滑空記章保持者でその要件は 銀章(滞空5時間、距離50km、獲得高度1,000m) 金賞(滞空5時間、距離300km、獲得高度3,000m) ダイヤモンド賞(滑空距離500km、目的地到達距離300km、獲得高度5,000m)それぞれ1項目達成毎に金賞の回りにダイヤモンドを付け加える 国際グライダー選手権大会は、滑空機界のオリンピックとも言える大会で、グライダーの父とも称される、故九州大学名誉教授佐藤博が戦後滑空界の復興を願い、国際グライダー選手権大会参加を強く願ったが、資金難と共にこの国際滑空記章保持者が、日本にはいなかったため、出場参加出来なかった。戦後第5回目となる1956年のフランス・サンヤン大会にやっと、小田勇滑空士が銀章の国際滑空記章を日本人として初めて取得して大会に参加、機体整備士として葉啓聡技師が派遣された。 島本真は、1989年(平成元年)6月30日、東京の航空ビル内滑空協会を表敬訪問の折、滑空協会雲井、桜井の両者の面談の上、長年の滑空界における功績により、この国際滑空記章金賞を名誉受賞した。
※この「国際グライダー選手権大会」の解説は、「島本真」の解説の一部です。
「国際グライダー選手権大会」を含む「島本真」の記事については、「島本真」の概要を参照ください。
- 国際グライダー選手権大会のページへのリンク