国連事務総長への立候補
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2006年2月、国連事務総長選挙に立候補することを表明した。他の有力候補にはインド人の国連事務次長(広報局長)シャシ・タルール、タイ王国の副首相スラキアット、スリランカの元国連事務次長(軍縮局長)ジャヤンタ・ダナパラの名が挙げられたが、7月24日に行われた国際連合安全保障理事会の各理事国による予備投票において潘基文は最も多くの票を獲得し、有力候補の一人となった。 2006年10月2日、国連安全保障理事会は4度目の予備投票を行った。この結果、拒否権を持つ常任理事国5か国が一致して潘を支持し(安保理全体では14か国の支持)、当選が確実となった。 潘基文は厳しい日韓関係の中でも、日本の外務大臣麻生太郎(当時)との会談で信頼関係を醸成した点など、“外交のプロ”と言われ、日本外交当局の評価も高かった。国連大使の大島賢三は「アジアの優れた候補から選出するという目的に沿った方向で事態は動いている。日本政府としての態度を最終決定した上で、正式投票に臨む」と語った。 潘はアメリカ合衆国と縁が深く、アメリカ政府との関係も良好と見られる。10月3日、潘の当選が確実となった予備投票の結果を受けて、アメリカの国連大使ジョン・ボルトンは「米国はこの結果を歓迎する」と述べた。 2006年10月20日、ソウルを訪問した麻生太郎は、潘が次期国連事務総長に当選したことについて「我々もアジアとしても大変誇らしい」と祝福した。これに対して潘は「日本は国連で活動を活発にしている重要な国だ。安保理議長国として努力していることを評価する」「事務総長に就任したら、日本と緊密に連携、協調していきたい」と述べた。 2006年10月14日、国連事務総長に当選する。2007年1月1日から5年間、事務総長職を務める。 2011年UNの加盟国192か国の全会一致で2012年1月1日から5年間、再び務めることになった。
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国連事務総長への立候補
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「スラキアット・サティアンタイ」の記事における「国連事務総長への立候補」の解説
「2006年の国際連合事務総長の選出」も参照 タイ政府はスラキアット・サティアンタイを2006年に任期を終えるコフィー・アナン国連事務総長の後任として推薦していた。彼の立候補にはASEAN諸国が支持を表明しており、さらに中国とアメリカ合衆国からも支持されていると報道された。歴代の事務総長は大陸ごとの持ち回りで任命されることが慣例となっており、アジア出身のサティアンタイは有力候補の一人であった。2006年7月24日から行われた国連安全保障理事会の各理事国による事前投票においては韓国の外交通商相である潘基文と、インド出身のシャシ・タルール国連事務次長に次ぐ票数を獲得したが、最終的には潘基文が事務総長に選出された。
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国連事務総長への立候補
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「シャシ・タルール」の記事における「国連事務総長への立候補」の解説
「2006年の国際連合事務総長の選出」も参照 2006年6月15日にインド政府は、タルールをコフィー・アナン事務総長の後任として推薦することを発表した。2006年7月24日から行われた国際連合安全保障理事会の各理事国による事前投票においては韓国の外交通商相である潘基文に次ぐ票を獲得しており、最有力候補の一人となったが、アメリカがタルールに対して拒否権を行使した。最終的に次期国連事務総長は潘基文に決まった。
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