国連事務総長選挙
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「ヴク・イェレミッチ」の記事における「国連事務総長選挙」の解説
総会議長の任期満了後の2013年11月、イェレミッチは国際関係および持続可能な開発センター (CIRSD) を設立した。2014年5月には、潘基文国連事務総長が2012年8月に立ちあげた国連持続可能な開発の解決ネットワーク指導者評議会 (SDSN) に加わった。 2012年の国会議員選でイェレミッチはセルビアの国会議員に選出されていたため、彼は総会議長としての任期中、民主党所属の国会議員を兼務していた。選挙後にタディッチが民主党を離党し、ドラガン・ジラスの陣営に加わると、タディッチ派のひとりであるイェレミッチも、党籍は残しつつ党内のすべての役職から退いた。2013年2月14日にイェレミッチは民主党から除名されたが、彼は党の決定は憲法違反であるとし、セルビア憲法裁判所に訴えを起こした。しかし、イェレミッチの訴えは却下された。彼は裁判所の決定に従って党を離れたが、国会の議席は無所属のまま維持した。 早くも2012年10月には、複数の国連の外交官がイェレミッチについて、次期国連事務総長の潜在的な候補者として言及していた。2013年11月19日には、スペインのミゲル・アンヘル・モラティノス元外相がイェレミッチを次期事務総長の最高の候補者として挙げ、「彼の選出は21世紀にとって大いなるニュースとなるだろう」と述べた。モラティノスはまた、イェレミッチは「現在の国連の構造を変革し、国連が世界で新たな役割を担えるようにするだろう」とも語った。2016年4月12日には、セルビア政府が公式に事務総長候補としてのイェレミッチに対する支持を表明した。4月13日に国連総会のタウンホール会合が開催されると、イェレミッチは本命候補の一人として浮上した。彼は次期事務総長に選出された場合に求める措置を示した53項目からなる綱領を発表したが、そのようなことを行った候補はほかにいなかった。しかし、10月13日に国連総会は、次期総長にポルトガルのアントニオ・グテーレスを任命した。
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