国名がない「国」とは? わかりやすく解説

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国名がない「国」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:26 UTC 版)

国名」の記事における「国名がない「国」」の解説

現代では全ての国に自称国名があるのが当然であるが、近世以前の国では国名がない事例多数見られるマウリヤ朝は、当時マガダ王が支配していたが、王朝帝国規模拡大した時期でさえ、マガダ国意味するのは、帝国規模拡大する以前ガンジス川下流地方地域名称だった。正統カリフ時代ウマイヤ朝国名はなかった。ウマイヤ王朝にとって国名に近い概念ではウンマ・イスラミーヤが挙げられるが、これは信徒共同体の意味であり、ウマイヤ朝時代には王朝支配下大多数住民イスラム教徒改宗していなかったため、彼らはウンマには含まれなかった。国家という概念でdawlaを利用し始めるのは8世紀中頃からである。ローマ帝国というポピュラー事例でさえ、SPQR厳密に国名ではなく、前2世紀急激に帝国規模拡大した時期では、SPQRローマ市民権を持つ市民共同体意味し、現在「ローマ帝国」として認識されている概念相当する言葉としては「Imperium Romanum」が利用されたが、これも国名ではなかった。オスマン帝国正式な国名オスマン国」が制定されたのは1876年憲法であり、それまで公文書では「至高国家(デヴレヴィ・アリイエ)」が慣用的利用されていた。近世まで中国では中国の皇帝特定の領域君主ではなく天下」の支配者であるという思想から(中華思想)、皇帝支配地域を指す国名存在しなかった。理念的には全世界皇帝支配地域で、朝廷直轄地域朝貢国支配地域朝貢ていない国の支配地域があるだけである(当然「外国」との対等国交存在しない)。漢・唐・宋などという名称は国名ではなく王朝の名前として理解されている側面があったが、明清時代となると国名として外交文書等で見られるうになる

※この「国名がない「国」」の解説は、「国名」の解説の一部です。
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