図版の比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:02 UTC 版)
周煌と北斎の図を見比べてもらえばわかるように、北斎は周煌図をほぼ踏襲している。だが描き加えられたものもある。 舟:「臨海湖声」「 粂村竹籬」「龍洞松濤」「筍崖夕照」「長虹秋霽」「中島蕉園」 人々:「臨海湖声」「 粂村竹籬」「筍崖夕照」「長虹秋霽」「中島蕉園」 雪:「龍洞松濤」 月 :「泉崎夜月」 すやり霞:全8図 琉球に行ったこともないのに、それぞれ良い効果をあげている。永田が言う「絵空事の天才」である。1843-44年(天保4-5年)に版行された『雪月花』「隅田」は、「龍洞松濤」の焼き直しに見える。 逆に、周煌画にあって、北斎画に描かれなかったものもある。 雲:「泉崎夜月」 雲気:「城嶽靈泉」 「泉崎夜月」は、雲より月を描いた方が分かりやすい。 「雲気」とは、中国絵画で最も重要とされる「気」を雲として表現したものである。「気」は、南朝・南斉の謝赫による『古画品録』の第一にある「気韻生動(きいんせいどう)」から来るもので、写実的であることより、「気」を画に込めることこそ大切だとする思想で、少なくとも明朝前半まではこの理想が維持された。そして仏教及び儒教道教といった「唐」の思想(=テクノロジー)と共に、日本(特に京の公家・武家・高僧)にもこれらが浸透し、彼らをクライアントとする絵師は「気韻生動」の理想を貫いていたのである。 周煌はこの地が「『靈(=霊)』泉」と聞き、雲気を描きこんだのだろうが、「絵空事の天才」北斎にとって、雲気は演出上不要だったのだろう。彼のクライアントは、漢籍に通じたエリート層ではなく、寺子屋止まりの町民である。難解な思想でなく、斬新で分かりやすい画が求められたのである。 なお北斎は、この作品より前に、曲亭馬琴の読本『椿説弓張月』(1807-11・文化4-8年)に挿絵を提供する。伊豆大島に流された源為朝が、琉球に渡って王女(わんじょ)と結ばれ、その子が琉球王朝の始祖と言われる「舜天」となる物語に沿って、描いている。各描写を見ると、巌や松等の表現に唐画の影響が伺える。
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