四国での聞き込み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:42 UTC 版)
「北九州市病院長殺害事件」の記事における「四国での聞き込み」の解説
生嶋以下、捜査員4人は11月30日夜、「はやとも丸」に乗船し、事件当時の2人の足取りを探るため、12月3日まで四国で聞き込み捜査を行った。この捜査には、小倉北署のベテラン刑事だった国武俊伸巡査部長も同行していた。2人が途中で休憩した「シーパレス宇和海」で、一行は支配人から、「2人は『休憩させてくれ』と言っていたが、相当疲れていたようで、部屋に案内したら勝手に布団を敷いて寝ていた。また、途中で何度も北九州に電話し、『金の工面がつく』『心配せんでいい』など、怪しい会話をしていた」という証言を得た。その後の聞き込みでも、2人は四国旅行の間、頻繁に北九州への電話を入れていたこと、ほとんど釣りをしていなかったこと も、それぞれ判明した。 また、国武は四国に向かう途中、船が姫島沖を通過する際、船内がほとんど暗くなっていたことから、「これなら、人目につかずに死体を捨てられる」という心証を抱いた。帰路、捜査員が「はやとも丸」の船長に対し、11月5日夜に「はやとも丸」(松山行き)から死体を投棄した場合の漂着地点について尋ねたところ、船長は当時の航海日誌(海流・気象状況を4時間おきに記録)から、「『はやとも丸』は1時15分ごろ、姫島北方4.3 kmの海上を航行する。もし1時前後に死体を捨てると、当日は北西の風が、7日 - 10日には東の風が吹いていたので、国東半島東岸(死体発見現場)に漂着するだろう」という仮説を述べた。
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