善養寺と相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 18:27 UTC 版)
「善養寺 (江戸川区)」の記事における「善養寺と相撲」の解説
鐘楼左隣には、平成元年(1989年)5月建立の「式守伊三郎報恩碑」と、「横綱山」という小さな山がある。「報恩碑」は、善養寺の檀家だった大相撲三役格行司、6代目(事実上は3代目と思われる)木村宗四郎にまつわるもので、病のために土俵に立つことができなくなった宗四郎は昭和34年(1959年)1月限りでやむなく廃業し、昭和43年(1963年)5月12日に没した。三役昇進祝いとして贈られた軍配は、塗装されて使われることもなく白木のままで善養寺の文庫に納められた。昭和48年(1973年)頃、宗四郎の弟子の三役格行司、2代目式守伊三郎が法事のために善養寺を訪問した。住職から白木の軍配の話を聞いた伊三郎は涙を流し、その軍配を使いたいと申し出た。伊三郎は住職から託されたその軍配を、昭和48年9月場所10日目の豊山対清國及び貴ノ花対龍虎の合計2番の裁きに使っている。 「横綱山」は、昭和55年(1980年)9月7日に境内で開かれた子供相撲大会の時に使われた土俵の土で築いた小山である。この相撲大会には、春日野親方が弟子たちを連れて参加した。2012年の時点では、子供相撲大会は開催されなくなっている。なお善養寺には、大関を務めた能代潟錦作や第二次世界大戦前に活躍した幕内力士有明五郎などの墓がある。
※この「善養寺と相撲」の解説は、「善養寺 (江戸川区)」の解説の一部です。
「善養寺と相撲」を含む「善養寺 (江戸川区)」の記事については、「善養寺 (江戸川区)」の概要を参照ください。
- 善養寺と相撲のページへのリンク