吉田拓郎の公演とは? わかりやすく解説

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吉田拓郎の公演

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/06 17:42 UTC 版)

吉田拓郎の公演では、吉田拓郎がこれまで開催したコンサートやコンサートツアー、並びにゲスト出演したコンサートについて記述する。




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注釈

  1. ^ 31日に4時間、1日に2時間のステージを行った
  2. ^ 加藤登紀子、本田路津子、赤い鳥、、フォーセインツ、ビリーバンバンほかと共演。
  3. ^ ゲストは高田渡、小室等と六文銭。
  4. ^ 高田渡、泉谷しげる古井戸RCサクセションと共演。
  5. ^ 六文銭、かぐや姫、ジローズ、シュリークス、五つの赤い風船、長谷川きよし、山本コウタローほかと共演。
  6. ^ ジローズ、オフコースほかと共演
  7. ^ かまやつひろし、六文銭、加川良、はっぴいえんど、頭脳警察、RCサクセション、エム、金延幸子加橋かつみゲッセマネ成田賢町田義人、南正人、鈴木ヒロミツ乱魔堂他と共演。
  8. ^ 三田祭頭脳警察、村八分、はっぴいえんどと共演。
  9. ^ 浜田省吾らがいた
  10. ^ 浜田省吾らがいた
  11. ^ 現在のようなチケットの販売システムもない時代、チケットは一律2500円で全国のイベンターに販売してもらいバスツアーを組んだものと、スタッフが東海道本線の沿線駅前のレコード店や喫茶店を手分けしてまわって置いてもらったものがあった。正確な観客数が定かでないのは、売られたチケットが回収できなかった分が多かったため(AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!、朝日新聞社、p46、田家秀樹 2007, p. 193)。
  12. ^ 外国ではイギリスのワイト島フェスティバルが有名。

出典

  1. ^ NHK BSオンライン
  2. ^ 別冊宝島編集部 2006, p. 77.
  3. ^ 「音楽文化・産業論 2008 I」 講師:後藤由多加 「インディーズ創世記」
  4. ^ 夢のあがり―ニューミュージックの仕掛人たち―1983年4月、富澤一誠著、音楽之友社、p41-42、51-52
  5. ^ 吉田拓郎 1980, p. 32.
  6. ^ 拓郎は1月から東京でマンスリーコンサートを行った。第1回紀伊国屋ホールから毎回会場を変え、第2回までのバックバンドはマックスだった。第3回目から登場し以後5ヶ月間活動を共にしたのがミニバンド。ライブアルバム『よしだたくろう・オンステージ ともだち』の音源はミニバンドによるもの(気ままな絵日記、p183、184、187、田家秀樹 1994, p. 10)。
  7. ^ '09 椛の湖 FOLK JAMBOREE : 71年フォークジャンボリー( 吉田拓郎)
  8. ^ 「隔週刊 青春のうた ベストコレクション2」 デアゴスティーニ・ジャパン、2006年3月14日、p20
    ナタリー - 日本初フェス「フォークジャンボリー」映画40年ぶりDVD化
    あの「中津川フォークジャンボリー」38年ぶり復活へ
  9. ^ はっぴいえんど伝説、1983年、萩原健太、八曜社、p72-73
    松本隆対談集 KAZEMACHI CAFE、ぴあ、p114
  10. ^ 吉田拓郎 1980, pp. 22-32
    日本の若者音楽文化の分岐点と生活意識の変容 -フォークからニューミュージックへ- 南田勝也
    FM雑誌と僕らの80年代、恩蔵茂、2009年、河出書房新社、p40
  11. ^ あの歌 この歌 こぼれ話、長田暁二全音楽譜出版社、2008年、p250、251
  12. ^ 樋口了一インタビュー
  13. ^ いろいろな圧力があったが、コンサートの後援で入っていたニッポン放送亀淵昭信が最後まで「拓郎を信じる」といって頑張ってくれたのが中止にならなかった理由という(シンコーミュージック 2007, p. 126)。ただし、亀淵は自身が担当した「オールナイトニッポン」で拓郎の曲をかけなかったことで知られる。(亀淵昭信のオールナイトニッポン 35年目のリクエスト、2006年、亀淵昭信白泉社、p31、32)。
    上柳昌彦のお早うGood Day! AMラジオ 1242 ニッポン放送
  14. ^ あの日フォークが流れていた、1996年4月・シンコー・ミュージック、p62
    読むJ-POP 1945-1999私的全史、p145
  15. ^ 吉田拓郎 1980, pp. 48-72.
  16. ^ a b ヤング・ギター・クロニクル, vol. 2『かぐや姫 青春という夢・恋・歌』、p90
  17. ^ シンコーミュージック 2007, pp. 154-159
  18. ^ 2009年ツアーパンフレット「Have A Nice Day LIVE2009 吉田拓郎フォト&ロングインタビュー集」p48、49
  19. ^ 石原信一 1985, p. 140.
  20. ^ 2009年ツアーパンフレット「Have A Nice Day LIVE2009 吉田拓郎フォト&ロングインタビュー集」p48、49
  21. ^ [1]
  22. ^ 『70年代ノート ~時代と音楽、あの頃の僕ら~』、p142-143
  23. ^ 田家秀樹 2007, p. 31
    豊かなる日々 〜吉田拓郎、2003年の全軌跡〜、2004年6月、田家秀樹著、ぴあ、p7
  24. ^ 『70年代ノート ~時代と音楽、あの頃の僕ら~』、p181
  25. ^ a b カルチャーエリア - 富澤一誠の55歳の決心! 234~240/ Slownet SNS
  26. ^ 吉田拓郎 - おんがく日めくり | YAMAHA
  27. ^ 森永博志のオフィシャルサイト 37
  28. ^ AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!、2006年、朝日新聞社、p47
    Musicman'sリレー 石田弘インタビュー
  29. ^ 田家秀樹 2007, pp. 10-11.
  30. ^ ビジュアル版・人間昭和史⑦ 大衆のアイドル、1986年、講談社、p233
  31. ^ 俺らの旅はハイウェイ、1990年2月、長渕剛、八曜社、p185-198
    吉田拓郎 Island Concert in 篠島
  32. ^ 田家秀樹 2007, p. 197.
  33. ^ セイ!ヤング&オールナイトニッポン70年代深夜放送伝説、p29、30
  34. ^ 音楽界の3大トラブルメーカーは玉置、長渕、拓郎 - ゲンダイネット2010年9月14日
  35. ^ 『70年代ノート ~時代と音楽、あの頃の僕ら~』、p246-247
  36. ^ 読むJ-POP 1945-1999私的全史、p222
  37. ^ 団塊の世代を中心としたシニア層の昨今の動き ニュース-ORICON STYLE
  38. ^ つま恋で話題呼んだ拓郎は紅白辞退 ニュース-ORICON STYLE




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