合衆国憲法の制定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:50 UTC 版)
詳細は「アメリカ合衆国憲法」を参照 このような混乱を収拾するため、諸邦連合は、連邦の司法府の設立および連邦議会の権限を強化することを目指した。1787年、合衆国憲法を制定して連邦制を採用し、アメリカ合衆国として一つの主権国家となったのである。そして、立憲君主制をとる英国と異なり、合衆国は、人民主権の下、国王に代わる国家元首を国民が選挙によって選出する大統領制をとった。 もっとも、13の邦の代表者である合衆国憲法起草者たちは、同時に連邦の権限が強くなりすぎて州(state)の権限が侵されることも警戒していた。そこで、合衆国憲法は、立憲主義を採用して、政府機能を3つの部門に厳格に分割し、相互に抑制・均衡を保つよう権力分立制を採用した。 このようにして、合衆国(合州国ではない。)は「立憲連邦共和国」としてスタートを切ったのであるが、合衆国憲法は、以上のような「おおいなる政治的妥協の産物」であり、その条項は、多分に解釈の余地を残すものにならざるを得なかった。このことが後に連邦最高裁判所による連邦の権限の拡大に繋がっていく。 その後、合衆国は、対話と衝突を繰り返しながら各地方の割譲、侵略、買収、併合を経て、現在の50州 、1地区 (district) で構成されるに至った。そのため、各州の法制度はそれぞれ独自の歴史と文化を有している。また、1783年に独立戦争が終結すると、各州でロー・スクールが設置されるようになり、徐々に各州で独自の法教育を行うようになった。 このような経緯から、アメリカ法は、英国法と異なる独自の進化を遂げたといえる。英国では、英国法が単独の法域を構成するのに対し、合衆国では、連邦法と州法の二元性の下で51を超える法域が存在する。他の国々に比しても、極めて複雑で多層的な構造を有するに至っている。
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