各港のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:19 UTC 版)
須磨港にあった本社と港施設は、航路廃止後に解体撤去され、跡地は須磨シーサイド球場となり、少年野球やソフトボールの試合や練習に利用されていたが、2008年(平成20年)5月に跡地を所有する阪神高速道路株式会社との契約が終了したため球場は撤去された。かつてはGoogleのストリートビューで須磨シーサイド球場の球場風景を閲覧することができた。2010年(平成22年)に阪神高速は道路建設用地として安く買収した跡地を高額で売却し、多額の利益を得た。跡地には株式会社高速道路開発が商業施設「ナナファーム須磨」を建設し2011年(平成23年)4月に開業した。須磨港跡地北側の市道高松線に「須磨港北」交差点があるが、航路廃止から10年経った2008年(平成20年)に「須磨港北」の交差点名標識が撤去された。 大磯港も、施設関連は全て撤去され、架橋による離職者対策で発足した本四海峡バスの大磯営業所と、三洋エナジー東浦(三洋電機連結子会社)、太陽光発電施設が建てられている(ラジオ関西の送信所は今も健在)。
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