各国観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:33 UTC 版)
プロイセン政府に追われてからのマルクスは、基本的にコスモポリタンで、『共産党宣言』には「プロレタリアは祖国を持たない」という有名な記述がある。しかし、その続きで「ブルジョアの意味とはまったく違うとはいえ、プロレタリア自身やはり民族的である」とも述べている。ヨーロッパ列強に支配されていたポーランドやアイルランドの民族主義については支援する一方で労働貴族が形成されつつあったイギリスの労働者階級や、ナポレオン三世の戴冠を許したフランスの労働者階級のナショナリズムにはしばしば厳しい批判を行っている。他方、イギリスのチャーチスト運動やフランスのパリコミューンを遂行した労働者の階級意識は評価するなど、マルクスの各国観は民族的偏見というよりはむしろ階級意識が評価の基準だった。またマルクス自身はドイツ人だったが、自分をほとんどドイツ人とは認識していなかったようである。[要出典]プロイセン政府は専制体制と評価し、これを批判していた。 十九世紀、ヨーロッパの憲兵として反革命の砦だったロシアには非常に当初厳しい評価を下している。E.H.カーはこれをスラブ人に対するドイツ的偏見と解釈していた。マルクス自身はロシアの将来について、「もし農民が決起するなら、ロシアの一七九三年は遠くないであろう。この半アジア的な農奴のテロル支配は史上比類ないものとなろう。しかしそれはピョートル大帝のにせの改革につぐ、ロシア史上第二の転換点となり、次はほんとうの普遍的な文明を打ち立てるだろう」と予測している(『マルクスエンゲルス全集』12巻648頁)。1861年の農奴解放令によって近代化の道を歩み始めて以降のロシアに対しては積極的に評価し、フロレンスキーの『ロシアにおける労働者階級の状態』を読み、「きわめてすさまじい社会革命が-もちろんモスクワの現在の発展段階に対応した劣ったかたちにおいてではあれ-ロシアでは避けがたく、まぢかに迫っていることを、痛切に確信するだろう。これはよい知らせだ。ロシアとイギリスは現在のヨーロッパの体制の二大支柱である。それ以外は二次的な意義しかもたない。美しい国フランスや学問の国ドイツでさえも例外ではない」と書いている(『マルクス・コレクション7』p. 340-342)。更に死の2、3年前には「ロシアの村落的共同体はもし適当に指導されるなら、未来の社会主義的秩序の萌芽を含んでいるかもしれぬ」とロシアの革命家ヴェラ・ザスーリッチに通信している。
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