古代ギリシア・ローマ〜東ローマとは? わかりやすく解説

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古代ギリシア・ローマ〜東ローマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:07 UTC 版)

宦官」の記事における「古代ギリシア・ローマ〜東ローマ」の解説

宦官は、オリエント影響受けた古代ギリシアローマ帝国、及びそれを継いだ東ローマ帝国でも用いられた。オリエントギリシア・ローマでも宦官宮廷内部雑用中心であったが、ローマ帝国後期以降皇帝権力が強まると高級官僚世襲を防ぐ為に宦官高級官僚用いることが多くなった。 キリスト教化した東ローマ帝国では官僚として重く用いられ軍隊司令官キリスト教東方正教会統率者コンスタンティノポリス総主教にまで宦官多数任命された。例えユスティニアヌス1世時代に対東ゴート戦争指揮したナルセスフォティオス総主教位を争ったイグナティオス[要曖昧さ回避]、ユスティニアノス2世最初廃位となる一因となった財務長官であるペルシアステファノスニケフォロス2世フォカス治世からバシレイオス2世治世初期権勢振るったバシレイオス・ノソスなどは宦官であったちなみにイグナティオスとバシレイオス・ノソスはそれぞれミカエル1世ランガベーロマノス1世レカペノス息子であり、失脚した皇帝の子孫から、皇帝狙って反乱を起こす者が出ないように去勢された者が居たことを示している。 中国のように宦官皇帝寵愛背景実権握った例は多いが、国家正規官職宦官多数任命され国家東ローマ帝国だけであろうこのように東ローマ帝国宦官重用したため、中国同様、自主的に去勢して宦官志願したり、親が子供出世のために子供去勢してしまう事例出てきた。またキリスト教普及伴って、自ら欲望絶つ目的去勢する者も現れた。その流行は凄まじく、民間での去勢禁止する勅令幾度も出されるほどであった11世紀末-12世紀入って軍事貴族出身コムネノス王朝成立すると、11世紀まで文官官僚として軍事貴族対立していた宦官勢力弱まっていった。その後12世紀以降帝国衰退していくに連れ宦官供給源となる属州失われ帝国財政力低下していったため、要員を雇うことができず宦官激減していった。

※この「古代ギリシア・ローマ〜東ローマ」の解説は、「宦官」の解説の一部です。
「古代ギリシア・ローマ〜東ローマ」を含む「宦官」の記事については、「宦官」の概要を参照ください。

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