反逆児、モデル、結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:03 UTC 版)
「ニキ・ド・サンファル」の記事における「反逆児、モデル、結婚」の解説
ニキは聖心会によって創設された女子初等教育機関「聖心修道院(Convent of the Sacred Heart)」に入学した。好きな科目はカリグラフィーで、絵を描いて遊んだり、劇を作ったりするのが好きだった。一種の反抗心から修道院の古典彫刻の(性器を覆う)イチジクの葉を赤く塗ったこともある。両親の不和に嫌気がさし、厳格な規律に反抗して、ニキは放校・転校を繰り返した。 17歳のときから演劇を学び、ダンス・パーティーでモデル・エージェンシーの経営者に声をかけられ、ファッション・モデルとして働き始めた。モデルの仕事は25歳まで続け、多くの雑誌に彼女の写真が掲載されたが、とりわけ『ヴォーグ』誌や『タイム』誌の表紙を飾った写真は、現在でも彼女の伝記などで目にすることが多い。 18歳のとき、幼なじみで同い年のハリー・マシューズと駆け落ちした。二人ともニューヨークの保守的な上流階級に育ちながら、そのような社会に対する反逆心を抱いていたことが共通点であったとマシューズは語っている。彼は後にフランスの詩人レーモン・ルーセルの影響を受けて作家になり、ジョルジュ・ペレックに出会って「ウリポ」に参加することになるが、当時はハーヴァード大学で音楽を専攻していた(1952年学士号取得)。二人は1949年に正式に結婚し、翌50年にマサチューセッツ州ケンブリッジに居を定めた。二人の間には1951年にボストンで生まれた娘ローラと1955年にマヨルカ島(スペイン)で生まれた息子フィリップがいる。ローラは女優ローラ・デューク・コンドミナス(フランス語版)として活躍し、娘(ニキの孫娘)のブルーム・カルデナスは、ニキの助手らとともに、彼女の没後に未完成の作品を完成させることになる。
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