反政府勢力のドゥーマ占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 09:15 UTC 版)
「ドゥーマの戦い」の記事における「反政府勢力のドゥーマ占領」の解説
ロイター通信と連絡を取っている活動家によると、FSAはドゥーマの通りに土嚢の障壁を建て、1月21日に都市を実効支配した。現地の活動家とイギリスに本拠を置くシリア人権監視団(SOHR)の活動家によると、その日の終わりまでに都市全体が反政府軍の支配下に置かれ、他の地域とは事実上遮断されたという。しかし、地方調整委員会は治安部隊は撤退したが戻ってくる可能性があるという活動家からの報告があったため、FSAが市を強固に支配しているという主張を却下した。 翌日、シリア革命総委員会(SRGC)はアルジャジーラに対し、シリア陸軍の部隊が郊外の一部地域に再突入し、その一部を砲撃したと伝えた。SRGCによると、政府軍とFSA戦闘員との間で限定的な衝突が発生し、メスラバ橋とアレッポ通りでは爆発音が聞こえたという。同グループはまた、軍隊が重機関銃を使用してジスル・メスラバやアルハル市場を含むドゥーマのいくつかの地域の住宅に向けて発砲したと報告した。暴力の最中に少なくとも1人が死亡した。シリア人権監視団によると、ドゥーマ外で起こった治安部隊と離反者の間での衝突は、町を奪還するための政府軍による努力であるように見えたという。FSAによるとされる映像では、シリア陸軍がドゥーマを襲撃した場合、大統領官邸にロケット弾を発射し、捕らえた5人の上級将校を処刑すると述べていた。 同日午後、映像にはFSAの戦闘員が通りをパトロールする様子が映っていたが、市内の活動家によると、戦闘は郊外に移り、軍は戦車を使って街を奪還する準備をしているという。その日の終わりまでに、ドゥーマの反体制派の活動家と反政府勢力の戦闘員は戦闘が落ち着き、反政府勢力は市内のメインストリートの約3分の2を保持したとロイター通信に電話で語った。戦闘員は検問所を設置し、戦闘中に治安部隊によって殺害された5人の民間人の葬列が町を通過していたという。活動家によると、葬列は15万人以上の抗議者を集めたという。
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