反政府・親政府派の衝突とは? わかりやすく解説

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反政府・親政府派の衝突

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 23:34 UTC 版)

エジプト革命 (2011年)」の記事における「反政府・親政府派の衝突」の解説

野党勢力2月1日無期限ゼネラル・ストライキと、タハリール広場から大統領宮殿までの100万デモ行進呼びかけた。これに対して政権側はデモ参加者カイロへ流入阻止する目的鉄道運行休止や、首都スエズ間の主要道路を封鎖するなどの交通規制行った。また軍とデモ隊衝突懸念されたが、軍当局は銃を向けない否定デモ参加者への武力行使拒絶し中立表明して大規模なデモ黙認したこうした中、タハリール広場決行されデモには20万人以上が集まったほか、アレクサンドリア参加者5万人、スエズ2万人を超すデモが行われた。カイロでの大規模デモ騒乱始まって以来最大規模のものとなり、軍からの支持得られず、ムバーラク退陣避けられないとの憶測流れ始め1日夜の国テレビにおける演説にて、ムバーラク次期大統領選挙への不出馬と、与党に有利であった選挙制度の改革実施することを表明した。これにより、ムバーラク政権は約30年終止符打たれることになった。 この演説後から、ムバーラク支持唱えるデモ隊集結し、その一部は馬やラクダ駆って乗り付けた。ムバーラク退陣求めデモ隊衝突し大統領支持派発砲するなどして死傷者発生した政府ムバーラク支持派扇動して反政府デモ参加者攻撃させたとの説も浮上し当の政府デモ沈静化という目的反するとしてこれを否定しているが、後に、この日ラクダや馬に乗って反政府デモ隊に突入した集団は、与党議員より要請され行なったことを認めている。支持派一枚岩ではないほか、政権に金で雇われた者が含まれていたことが指摘されている。この衝突により、エジプト国内深刻な分断が明らかとなった。 この衝突についてシャフィーク首相2月3日国営テレビ演説にて謝罪し衝突原因について調査約束した。タリハール広場での衝突続き午後に大統領支持派1時間以上にわたり反体制派発砲行った双方分断するため、軍によって緩衝地帯設置された。またムバーラク性急に大統領辞任すれば混乱拡大する主張し即時辞任改め拒否したが、同時期にアメリカ政府エジプト政府と、ムバーラク退陣暫定政権樹立という政権移行協議していると報じられた。 この間にも犠牲者増え続け国際連合人権高等弁務官ナバネセム・ピレイ英語版)は2月1日声明の中で、これまでの騒乱のために非公認ながら死者300人、負傷者3000人以上、また逮捕者数百人が出たとし、エジプト政府非難した

※この「反政府・親政府派の衝突」の解説は、「エジプト革命 (2011年)」の解説の一部です。
「反政府・親政府派の衝突」を含む「エジプト革命 (2011年)」の記事については、「エジプト革命 (2011年)」の概要を参照ください。

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