参議院議員時代〜晩年
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知事職を退いた翌1971年(昭和46年)の第9回参議院議員選挙に自民党公認で兵庫県選挙区から出馬して当選、七日会(田中派)の立ち上げに参加する。2期目の1977年(昭和52年)には参議院地方行政委員長に就任し、1979年(昭和54年)には第1次大平内閣で行政管理庁長官として入閣した。1980年(昭和55年)、勲一等瑞宝章を受章。 1983年(昭和58年)の第13回参院選には出馬せず政界を引退し、兵庫県名誉顧問に就任する。また、かつて日本三大大仏の一つに数えられながらも1944年(昭和19年)に金属類回収令で解体された能福寺(神戸市兵庫区)の兵庫大仏再建事業に際して奉賛会会長を務め、1991年(平成3年)5月9日の開眼法要に出席した。同年8月6日、脳梗塞のため死去。享年89(満87歳没)。神戸市長田区の兵庫県立文化体育館で開催された県民葬には竹下登ら約2700名が参列した。
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