参議院議員辞職、大阪府知事へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:46 UTC 版)
「横山ノック」の記事における「参議院議員辞職、大阪府知事へ」の解説
1995年に参議院議員を辞職した後、政党に頼らない「無党派」であることを旗印にし、大阪府知事に当選する。 当初は知事就任後もそれまで出演していたレギュラー番組に復帰するなどタレント活動を続けるつもりであったが、公務が多忙なことや、タレント活動を並行して行うことに府民から反発があったこともあり、ごく一部の活動を除いてタレント活動は縮小し、大阪府の赤字解消を目標に掲げて施策を行った。 一期目就任当初は議会のほとんどが野党というオール野党状態ではあったが、同年8月30日には当時不良債権が大幅に膨らんで事実上死に体であった木津信用組合に対して業務停止命令を発し、また行政改革への積極的な取り組みなど、一定の実績は積み上げていった。 元々の芸人としての知名度と愛着の持たれるキャラクターから府民の人気は高く、加えてAPEC首脳会議の成功など実績も評価されたことで、1999年の二期目選挙では自民党など主要政党が対立候補の擁立を見送らざるを得ない状況となり、235万票という大阪新記録の得票によって事実上の信任投票となる形で当選した。 芸能人としての人気と名声の獲得、学歴のハンデを乗り越えての首長という公職への就任、このときがノックの人生にとって絶頂期であった。
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