厳しい軍律
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:48 UTC 版)
迅衝隊は、戦地における略奪、放火、婦女子に対する乱暴行為を堅く禁じており、違反者は軍法会議に掛けて有罪の場合は即刻処刑が断行されると告知されていた。一例を上げると、土佐から進軍しての初戦、備中松山城無血開城ののち、松山城下にいた迅衝隊士が駐留中、軍服を誂えようと北川宅之助配下の足軽・大久保虎太郎、楠永鉄太郎、岡上先之進、国沢守衛の4名が、2月3日、松山城下の呉服店にて好みの生地を選び仕立てを頼んだ。売価5両であったものを2両に値切ったが、まけてくれないので、「おい、この松山城下は、焼き払われるはずであったものが、我藩のとりなしで焼かれずに済んだのだぞ。にも関わらず諸品を高値で売るとは不埒千万。不足があるなら隠岐守(松山城主)から貰え」と啖呵を切って持ち返ったことが発覚した。双方の証言を吟味し、非戦闘員に対して略奪同様の行為と軍律に触れることになった4人は有罪となり、松山城追手先の堀側に土壇場を築きこれを獄門台とし、大隊司令・高屋左兵衛、軍監・中村禎助が諸隊長と藩兵を率いて整列し、隊長・北川宅之助が4人の隊士に向って、 其方儀、軍法を犯し不届之仕業有之(これあり)に付、断頭被仰付 と罪名および罰状を読み聞かせ、ばっさりばっさりと濡れ紙を切るような音をさせて首を打ち落とした。このように、強引な値引きであっても略奪同様として堅く禁じた厳しい軍律が守られていた。これは、 いやしくも「錦の御旗」を奉じて戦う官軍にあっては、菊の御紋に恥じるような行いがあってはならぬ という板垣退助の考えが貫かれ、のちの帝国陸海軍の戦地での行動規範に引き継がれている。
※この「厳しい軍律」の解説は、「迅衝隊」の解説の一部です。
「厳しい軍律」を含む「迅衝隊」の記事については、「迅衝隊」の概要を参照ください。
- 厳しい軍律のページへのリンク