原始・先史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:46 UTC 版)
旧石器時代 現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡(倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では2基の炉跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である。 縄文時代 地球の温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。 弥生時代 また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネのプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。 古墳時代 古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域などとともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国は畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国や芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(赤磐市)などの大型古墳が岡山県内に残されている。
※この「原始・先史」の解説は、「岡山県」の解説の一部です。
「原始・先史」を含む「岡山県」の記事については、「岡山県」の概要を参照ください。
- 原始先史のページへのリンク