博報堂社長に
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1983年7月、大蔵省時代、3度にわたって直属の上司と部下の関係にあった博報堂の近藤道生社長に招かれ、同社特別顧問に就き、同12月1日、国税庁長官経験者が2人続けて社長となった。社長時代には生活者発想を掲げ、マーケティング・エンジニア宣言を推し進めた近藤路線の継承、発展を目指し、新しい時代の博報堂づくりを進めるためにイベント、映画、博覧会など広告周辺領域の強化に取り組み、博報堂が数多くの映画制作に関わっていた為、映画製作者のクレジットに必ず載った。 磯邊の名は闇の社会でも広く知られ、あるパーティーに出席した際、突然、暴力団山口組系の有力組長から名刺を出され、「その節は、面倒をおかけしました」と挨拶された。磯邊は国税庁長官時代、大阪国税局に繰り返し山口組系暴力団の税務調査を指示しており、担当した税務官の自宅に、犬や猫の死体が投げ込まれたことがあった。磯邊に挨拶した組長は、その時、狙われた一人であった。 法務・検察のドン 伊藤栄樹らと親交があり、「法務・大蔵会」と呼ばれた法務検察の現役幹部陣と、大蔵や国税査察経験者の現役幹部らとの定期的な会合・酒宴をもっていた。 2012年2月12日、腎盂がんのため死去。89歳没。 趣味は小旅行。
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