南関東への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 14:05 UTC 版)
1910年(明治43年)から1911(明治44年)利根発電は東京市での電灯供給事業を目的に設立準備を進めていた日本電力と電力供給契約の交渉を進めていた。結局日本電力は東都電力と合併し、日本電灯として創業した。卸電力元は安田財閥系の桂川電力から電力供給契約を結び、利根発電とは実現に至らなかったこれを契機に利根発電は南関東への進出を開始した。1912年(明治45年・大正元年)以降には粕壁町営、埼玉電灯、帝国瓦斯力電灯の加須営業所、越ヶ谷営業所、幸手電灯、千葉電灯といった埼玉県・千葉県の公営・電気事業者への即売(買電)である。これに伴い利根発電は供給量が不足するため長距離送電線を建設しなければならなかった。1912年(大正元年)10月に供給不足の対策として上久屋水力発電所の増備、11月には株式の増資を実施しその増資した金を元に岩室発電所と利根郡上久屋村から群馬県新田郡太田町、埼玉県南埼玉郡越ヶ谷町を経て千葉県東葛飾郡市川町までの長距離高圧送電線の建設が開始された。1913年(大正2年)8月には長距離高圧送電線(117km)竣工した。千葉電灯、帝国瓦斯力電灯、埼玉電灯、粕壁町営に電力を供給した。この間で第一次世界大戦の勃発で水力発電の水車一式をドイツ製のメーカーの物を使用予定だったが輸入が断絶し急遽日立製作所製の水車に切り替えた。その影響で岩室発電所は1915年(大正6年)7月になってから一部起電を開始した。1913年(大正3年)下期は利根発電の経営状態は殆どが卸電力の収益が占め、電灯事業が半分の営業収益だったようである。第一次世界大戦の好景気の反動不況を迎え利根発電も電気事業の合同に組み込まれることになり1921年(大正10年)4月1日、利根発電は東京電燈に合併し消滅した。 .mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.75em;right:1em;display:none} この項目は、企業に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 経済)。
※この「南関東への進出」の解説は、「利根発電」の解説の一部です。
「南関東への進出」を含む「利根発電」の記事については、「利根発電」の概要を参照ください。
- 南関東への進出のページへのリンク