南での激突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 23:32 UTC 版)
4月21日までにイギリス軍は素早く南のヴァルダール(en)の村落へ向かいトロンヘイムフィヨルドから数マイル、内陸にあるインナ川を横切る道と鉄道橋を占領した。これらはフィヨルドから数マイル下方にあり、トロンヘイムとナムソスのちょうど中間に存在した。不吉なことに、彼らはフィヨルド内でドイツ海軍の砲艦、武装トロール船2隻及び、駆逐艦を発見した。これらは上陸した後の彼らの側面に部隊を上陸させることができ、さらに砲火を浴びせることができたが、連合軍部隊にはこれに対応する手段がなかった。 デ・ウィアートが4月15日にナムソスへ上陸したとき、ドイツ軍はトロンヘイム地域、都市およびスウェーデンの鉄道沿いにいくつかに別れておよそ1,800名が存在した。ドイツ軍はヴェルネス(Varnes)飛行場(現:トロンヘイム空港)を占領したことにより、毎日部隊を空輸することが可能となり、4月18日までに3,500名、翌日には5,000名にまで増加していた。彼らは装備は充実していたが、野戦砲が不足していた。一部のドイツ軍はヘグラ(en)へ展開、そこでノルウェー軍251名が構築した古い国境要塞(en)で持ちこたえていた。彼らはフィヨルドへ進撃を開始、先行した偵察部隊は4月16日、ヴァルダールに到着した。 ヴァルダール橋はノルウェー軍約80名が防衛、クラッグ・ヨルゲンセン・ライフルとコルトM/29重機関銃で武装していた。21日朝、ドイツ軍が攻撃を開始したとき、ノルウェー軍は偶然居合わせたイギリス陸軍工兵隊がこれを支援、一時間半の間、ドイツ軍の攻撃を寄せ付けなかった。大部分のイギリス軍はもう少し後ろに位置していたが、ドイツ軍は側面に回る試みにおいて、イギリス軍の背後の数箇所に部隊を上陸させ、イギリス軍の主力の注意を引いた。このため、イギリス工兵隊とノルウェー軍は分断されることを恐れ、撤退した。 戦いは激しさを増し、ドイツ軍はかんじきやスキーを装備、さらに大迫撃砲と軽野戦砲を橇で運んでいたため有利であった。さらに彼らは飛行場から35マイル離れた箇所で空軍の支援と海軍からの艦砲射撃の支援を受けていた。 これらの中、イギリス軍、ノルウェー軍らは混乱を起こすことなく、ドイツ軍の最初の動きへ対処することに成功、激しい戦いがVist(en)周辺で行われた。ドイツ軍の最初の攻撃は撃退されたが、ドイツ軍は深い雪の中をスキーを利用して展開、イギリス軍の側面へ回り込んだ。 ドイツ空軍は4月21日、スタインシャーでイギリス軍の前線基地を攻撃してこれを破壊、イギリス軍の機材に多くの被害を与え、さらに家242軒を破壊、1,800名以上のノルウェー民間人が家を失うこととなった。爆撃で町の80%が破壊されたが、死者は出なかった。
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