南の人士の反発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 06:57 UTC 版)
「全朝鮮諸政党社会団体代表者連席会議」の記事における「南の人士の反発」の解説
このように協商過程で北は一方的な態度を見せ、南の人士の反発は酷かった。民族自主連盟の金奎植は、病気を口実に4金会談にのみ参加し会議に参加することはなく、連席会議中参加した張建相(朝鮮語版)・呂運弘らは、議事決定過程に問題があると抗議することもあった。 張建相(朝鮮語版)は連席会議中「わが同胞は共産主義を戴く術はない。我々が勤労人民党運動をすることは、共産社会を組織することがない平等の理念で穏やかに生きるところがある」と主張したことを問題とすることは、北朝鮮によって一時軟禁されることになった。張建相は金九、金奎植が出発してから15日後にソウルに戻ることになった。これも彼と親分がいた朝鮮労働党委員長洪命熹・金枓奉のおかげであった。
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