十和田さまとは? わかりやすく解説

十和田さま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:37 UTC 版)

三湖伝説」の記事における「十和田さま」の解説

新撰陸奥国誌』(天正年間1573年-1592年)には、黒石市沖浦貴船神社には十和田入ろうとした南祖坊が先に八竜がいたのでこの神社に来たという伝説語られている。小舘衷三の研究によれば青森県下では十和田さまと言われる社が数多く、その祭神龍神であり、干ばつ時には雨乞いをする場合多かった。ただ、現在は公に貴船神社称して祭神もそれに見合う神名になっているものもあるが、それは明治以降改変である。例えば、大鰐町貴船神社旧名十和田宮と呼び、現在でも単に十和田さまといえば津軽ではこの宮を指す。この宮は津軽の十和田さまの中では最も著名であるが、干ばつには鶴田町浪岡町などの遠方からこの社に雨乞いに来た。また、藩政期には藩命によってこの社で雨乞いが行われた。黒石市の青荷沢の十和田さまも貴船神社になっているが、『貴船神社由来伝記』では晴雨祈願する社として、南祖坊が龍神となってこの社の池に入った話を伝えている。青森市西田沢山中にある十渡明神宮も竜神祀る十和田さまの一つであるが、雨乞いでは社の前で盆の踊りをした。このように津軽地方では十和田さまをの神とされた。しかし、本家青龍権現南部地方で十和田さまをの神としての祀る事例はなく明確な信仰違いがある。なお、津軽の十和田さまには必ず池があり、そこで散供打ち行事伴っていて、池や沼、時には水たまりを十和田さまと呼ぶこともある。 大館市長坂大橋にある戸潟神社北東側にあるとわだ之沢の滝壺下の山崩れによってできた戸潟沼という沼がある。山崩れによってできた底なし沼と言われ雨乞い霊験あらたかとされ戦時中まで旱魃続けば近在参拝者で賑わった場所である。紅葉素晴らしく、小十和田の趣があったが、戦後手入れなされず昔の面影はない。とわだの沼は国道7号からわずか300mほど沢に入ったとわだ神社(戸潟神社)の下側の沼である。周囲わずか300mほどの沼の小沼に過ぎないが、昔は日照り続きの年は近郷近在から雨乞い人々大勢押しかけ神社境内女相撲とったり、沼の端で焚き火をしたり、沼に不浄のものを投げ入れたりして怒らせ神の力呼ぼうとした。

※この「十和田さま」の解説は、「三湖伝説」の解説の一部です。
「十和田さま」を含む「三湖伝説」の記事については、「三湖伝説」の概要を参照ください。

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