十和田丸建造までの経緯とは? わかりやすく解説

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十和田丸建造までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:47 UTC 版)

十和田丸 (初代)」の記事における「十和田丸建造までの経緯」の解説

1954年昭和29年9月26日洞爺丸台風では、車載客船 洞爺丸車両渡船 北見丸同 日高丸初代)、同 十勝丸(初代)、客載車両渡船 第十一青函丸の5隻が沈没した。これらのうち、洞爺丸1955年昭和30年8月25日浮揚作業完了したものの、右舷側の損傷甚だしく復旧には多額の費用が必要と見込まれたため、国鉄はこれを断念し1956年昭和31年11月10日代替船の建造新三菱重工神戸造船所発注した。これが十和田丸(初代)であった洞爺丸事件重大さ鑑み運輸省1954年昭和29年10月学識経験者による「造船技術審議会船舶全部会・連絡船臨時分科会」を、国鉄総裁同年11月同じく学識経験者による「青函連絡船設計委員会」を設置した。しかし翌1955年昭和30年5月11日には宇高航路でも紫雲丸事件発生したため、後者同年7月日本国有鉄道連絡船設計委員会」と改称され、これら二つ審議会では、洞爺丸台風時の青函連絡船沈没原因とその対策ならびに第三宇高丸衝突沈没した紫雲丸事故原因と対策審議検討され答申出されたが、前者主として基本事項審議行い後者がこれを受けて実際の設計反映する役割分担であった本船建造にあたっては、これら両事件から得られ対策盛り込まれるところとなり、格段に安全性の高い船となった。 なお1955年昭和30年10月20日出され上記日本国有鉄道連絡船設計委員会」の第1回答申書で、沈没免れた羊蹄丸(初代)摩周丸(初代)大雪丸(初代)の3隻を「羊蹄丸型」と呼称した。その後国鉄内ではこの呼称広く使われていたため、状況応じ洞爺丸型」のほか「羊蹄丸型」も使用する

※この「十和田丸建造までの経緯」の解説は、「十和田丸 (初代)」の解説の一部です。
「十和田丸建造までの経緯」を含む「十和田丸 (初代)」の記事については、「十和田丸 (初代)」の概要を参照ください。

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