医師としての経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 14:21 UTC 版)
「ウィリアム・フリスト」の記事における「医師としての経歴」の解説
HMS在学中の1977年、フリストは同校の関連医療機関であるマサチューセッツ総合病院に研修医として配属された。同病院ではW・ジョン・パウエル・ジュニア博士の研究室に配属され、心臓血管生理学について研究・研修を積む。さらにHMS卒業後は研究室を離れ、同病院の外科レジデントとなる。その後は、イギリス・サウサンプトンにあるサウサンプトン総合病院での1年間の在外研究を経て、1984年にはマサチューセッツ総合病院心臓・胸部外科のチーフ・レジデント兼フェローに昇進する。さらに1985年にはスタンフォード大学医学部に移り、心臓・胸部外科と心臓移植部門のチーフ・レジデント兼シニア・フェローとなる。スタンフォード大でのフェローシップを終えた後はさらにヴァンダービルト大学医学部に移り、教授に就任する。ヴァンダービルト大においては心臓と肺の移植プログラムを開始し、1989年には付属病院に移植センターを立ち上げるなど、移植専門医として活動した。また、ヴァンダービルト大での活動と同時に、ナッシュビル退役軍人病院にも外科スタッフドクターとして籍を置き、勤務した。 その後は徐々に政治活動に重心を移していくことになるが、フリストは現在でも医師の資格を有しており、一般外科手術と胸部外科手術の両方の分野で資格を有している。これまで外科医として執刀した手術の件数は、特に専門である心臓および肺の移植手術の執刀件数については150件以上を数える。この執刀件数のうちには、小児心臓移植や心臓と肺の同時移植なども含まれている。また、ヴァンダービルト大在籍中の1991年に、当時陸軍第101空挺師団・第187歩兵連隊第3大隊の司令官であったデイヴィッド・ペトレイアス中佐(当時)が実弾訓練中の誤射事故で重傷を負った際に、その手術を執刀したことでも知られる。ペトレイアスはこの手術で一命を取り留め、のちにイラク戦争後の治安安定化に向けた対反乱作戦(COIN作戦)で功績を挙げ、大将まで昇ることになる。
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