医師としての研究と活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 06:34 UTC 版)
「楠本長三郎」の記事における「医師としての研究と活躍」の解説
1906年(明治39年)ドイツ留学中にザリチンの作用、食餌と糞便の胆脂との関係、コプロステリンなどの研究を行った。帰国後、後に知られるビタミンB1について語っていた。1909年(明治42年)には「腎臓に於ける出血の発生に就いて」の論文で東京帝国大学から博士の学位を授けられた。努力は研究よりも臨床に大きく傾けられ、患者に対して親切丁寧に対応していた。勤務というよりも趣味のように好んで患者を診ていた。54歳で府立大阪医科大学学長に就任した後も、患者の診療に当たって常に親切を旨とし、治療にかけては名人とも言われた。大阪の実業界・言論会その他の方面への信望は非常なもので、誰しもその厄介になった。
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