北海道競馬会とは? わかりやすく解説

北海道競馬会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 15:45 UTC 版)

札幌競馬倶楽部」の記事における「北海道競馬会」の解説

同じく1905年桂太郎内閣のもとで馬券の発売黙許する通達出され、翌1906年4月東京競馬会主催する競馬成功を収めると、日本各地政府公認競馬会設立する動き活発化する。当時札幌において競馬主催していた北海道乗馬会また、政府公認競馬会設立するべく活動開始1906年10月10日に同会競馬部が分離独立する形で北海道競馬会を設立。翌1907年4月24日社団法人として政府認可受けた。 なお、このとき設立要件として一定上の規模競馬場有することとされたが、札幌における従来競馬場中島遊園地競馬場)はコース長が足りず要件満たしていなかったため、1907年には北海道乗馬会が北海道競馬会とは別に設立した札幌馬匹奨励株式会社琴似川東岸にあった子取農場敷地買収して競馬場建設した子取競馬場)。これが現在の札幌競馬場である。 新設し子取競馬場現在の札幌競馬場)はコース長1マイル(1600メートル)コース幅約38.2メートル馬場持ち4棟厩舎新築2棟馬見所スタンド)は中島遊園地競馬場から移設した。 競馬黙許にあたって設立された北海道競馬会は明治40年秋に第一回目の競馬を行う。翌明治41年春秋競馬盛大に行われた。しかし、馬券黙認であって公認ではなく、したがって規則取り締まりも明確ではなくいたずらに射幸に走るものが多く弊害大きかったので政府明治41年10月馬券発売禁止した賭け黙認されることで成立した日本各地競馬会大混乱し、北海道競馬会も同じく動揺した全国競馬会馬券復活求めて大々的政治活動乗り出し多く衆議院議員味方引き入れる政府および貴族院態度硬く結局は馬券公認はならず、各競馬会への補助金折り合う。北海道競馬会の持田謹也も馬券復活求めて盛んに政治活動行った者の代表の一人である。この明治39年から明治41年までの馬券黙許に伴う日本各地での競馬会競馬場林立賭博としての競馬隆盛弊害再度馬券禁止とその混乱の時代を「馬券黙許時代」という。馬券黙許時代次に来るのは補助金競馬である。札幌競馬もこの流れにのみ込まれていく。

※この「北海道競馬会」の解説は、「札幌競馬倶楽部」の解説の一部です。
「北海道競馬会」を含む「札幌競馬倶楽部」の記事については、「札幌競馬倶楽部」の概要を参照ください。

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