北海道と松前地・蝦夷地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 04:40 UTC 版)
「北海道の神社の歴史」の記事における「北海道と松前地・蝦夷地」の解説
戦国時代から江戸時代には、北海道の南部で和人による支配地(松前藩)が確立した。歴史的観点から、北海道を「松前地(和人地、口蝦夷、旧開地)」と「蝦夷地(奥蝦夷、新開地)」に分ける考え方もある。この考え方は一般に普及した分け方とは言えないとしても、北海道の歴史を概観する上では便利である。松前藩の支配地域は時代によって大きく変わっているため、どこまでを「松前地」とするかは厳密には注意を要するが、ここでは概ね道南の和人地の意味で「松前地」といい、それ以外の地域を狭義の「蝦夷地」とする。 北海道は冷涼な気候ゆえに稲作に適さず、松前藩では米による石高制のかわりに、主に海産物の収入に基づく知行を行なった。これはアイヌとの交易によって行われ、北海道の沿岸部には「場所」と呼ばれる交易拠点が設けられた。江戸時代の中期には、商人が場所を独占して交易を行う場所請が制度化された。これらを通じて、(狭義の)蝦夷地にも和人の集落ができるようになり、各地にも神社が設けられた。 江戸時代の後期には、ロシアの南下政策への対抗上、幕府による北海道の直轄が試みられた。このため、松前藩の支配地・幕府の支配地・(狭義の)蝦夷地の範囲は19世紀にしばしば変更されている。この時期に蝦夷地警護のために武士団が北海道の各地に派遣され、彼らによって神社が創建された。 明治になると、開拓者が北海道各地に入植するようになり、彼らによって神社が建立された。やがて、これらの諸社は国家神道の観点から体系化される。
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