北朝鮮との共同開催案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 00:41 UTC 版)
「1988年ソウルオリンピック」の記事における「北朝鮮との共同開催案」の解説
1984年ごろからは、ソウルオリンピックを北朝鮮の平壌市との共同開催(共催)とする提案が相次いだ。前2回の夏季オリンピックは東西両陣営のボイコット合戦となったことや韓国が開催した1986年アジア競技大会で社会主義諸国10カ国がボイコットしたことから、自由主義陣営に属したために社会主義諸国との国交が無かった韓国で開催された1988年ソウルオリンピックでも、社会主義諸国がボイコットする可能性が懸念された。そのため、韓国と北朝鮮がオリンピックを共催すれば、社会主義諸国が参加しやすくなるとの発想が生まれた。1985~87年には、韓国、北朝鮮、IOCによる協議で、共催のための具体案が検討された。 しかし、1983年に北朝鮮は、韓国の全斗煥大統領暗殺を目的にビルマでラングーン事件を発生させており、南北間の相互不信は大きかった。北朝鮮側は、開・閉会式は、ソウルと平壌で別々に実施し、組織委員会を別々に組織する案を主張した。これに対して、韓国やIOCは、オリンピックの開催権は、オリンピック憲章の規定によりソウルに与えられたことを理由に難色を示し、北朝鮮に配分する競技の数について議論は何度も空転した。結果、最終的には共催交渉は決裂し、北朝鮮側の拒絶によって、交渉自体が打ち切られた。 1987年11月28日に発生した大韓航空機爆破事件は、ソウルオリンピックの韓国単独開催の妨害もしくはオリンピック自体の開催中止を目的とした、北朝鮮工作員の犯行だった。結果的に、ソウルオリンピックには1986年アジア競技大会をボイコットしていた他の9カ国などほとんどの社会主義諸国は参加したが、北朝鮮は不参加を表明した。後になって、政府の発表により北朝鮮の国民には、ソウルオリンピックの存在自体が虚偽であると伝えられたことが明らかになっている。 2019年3月31日、当時の機密扱いだった外交文書が公開され、IOC会長のフアン・アントニオ・サマランチが、北朝鮮が受け入れないと予想した上で、東側諸国に大会参加の口実を与えるために、北朝鮮に南北分散開催について提案したことが改めて確認された。
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