北方ルネサンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 20:27 UTC 版)
ネーデルラント(ベルギー・オランダ) 15世紀のフーベルト、ヤンのヴァン・エイク兄弟が油絵の技法を完成させており、このころのネーデルラント絵画はイタリア・ルネサンスと並び立つ水準にあり、むしろイタリア絵画に大きな影響を与えるほどであった。16世紀頃にはその立場は逆転し、イタリアを手本とするようになった。ブリューゲル(1525年-1569年)もイタリア旅行をしたのち、独自の農村風景画を描くようになった。怪奇な画風の作品を残したヒエロニムス・ボスも特異な位置を占めている。 フランス イタリアに進軍したフランソワ1世の時代(イタリア戦争の項も参照)にレオナルド・ダ・ヴィンチが宮廷に招かれ、イタリアのルネサンス美術が伝えられた。その後もロッソ・フィオレンティーノらがイタリアから宮廷に招かれ、マニエリスムの影響を受けたフォンテーヌブロー派が活躍する。 ドイツ デューラー(1471年-1528年)はイタリア旅行を経て、ルネサンス絵画に学び、思想的にも深みのある表現に達した。銅版画の「メランコリア I」や油彩の「四人の使徒」などの宗教画がよく知られている。グリューネワルト(1475年頃―1528年)も、『イーゼンハイム祭壇画』などで著名。 スペイン エル・グレコ(1541年-1614年)が知られる。クレタ島出身のギリシャ人でヴェネツィア・ローマを経てトレドに移り住む。マニエリスムの影響を受けながらも、独自の神秘的な画風を築いた。 『アルノルフィーニ夫妻』ヤン・ファン・エイク1434板、油彩81.8 × 59.7 cmナショナル ギャラリー(ロンドン) 『快楽の園』ヒエロニムス・ボス1505 – 1510頃板、油彩両翼 : 220 × 97、中央 : 220 × 195 cmプラド美術館 『四人の使徒』アルブレヒト・デューラー1523-1526板、油彩215 × 76 cmアルテ・ピナコテーク 『アレクサンドロス大王の戦い』アルブレヒト・アルトドルファー1528-1529板、羊皮紙、油彩158.4 × 120.3 cmアルテ・ピナコテーク 『大使たち』ハンス・ホルバイン (子)1533板、油彩207 x 209.5 cmナショナル ギャラリー(ロンドン) 『バベルの塔』ピーテル・ブリューゲル1563板、油彩120 × 92 cmウィーン美術史美術館
※この「北方ルネサンス」の解説は、「ルネサンス美術」の解説の一部です。
「北方ルネサンス」を含む「ルネサンス美術」の記事については、「ルネサンス美術」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から北方ルネサンスを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 北方ルネサンスのページへのリンク