イギリスのルネサンス建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:23 UTC 版)
「北方ルネサンス建築」の記事における「イギリスのルネサンス建築」の解説
イギリスでのルネサンス建築の導入については、初期に大変厳しくあった。イタリアからの地理的な遠さもさることながら、宗教改革による影響が大きく、導入を阻んでいた。特にイタリアの建築家たちによる建築書が全く紹介されなかったわけではないが、16世紀半ばに至るまで、イギリス建築はほとんど鎖国に近い状態であったという。 1530年代から1620年代にかけて、ようやくルネサンスらしき様式が導入されるようになるが、フランス、オランダ、ドイツを経由して屈曲したものであり、ゴシック様式の伝統は、イギリスでは根強く決して死に絶えることはなかった模様である。例えば、1556年に起工したバーリィ・ハウスでは、フランスの凱旋門とイギリスの伝統的装飾を、オランダの職人が製造するという恐るべき混淆がなされていることから伺える。トッリジアーノやジョン・シュートといった建築家たちは、イギリスにおけるルネッサンスの導入に多少の影響を与えたようであるが、決定的な大転換には至らなかった。 しかし17世紀に入ると、イニゴー・ジョーンズによって、イタリアのルネサンス建築は、ほぼそのまま持ち込まれるようになった。例えば1616年起工のクイーンズ・ハウスや1619年起工のバンケティング・ハウスは、彼の建築家としての力量を端的に示している。このように、イニゴー・ジョーンズは近代的な意味でのイギリスにおけるはじめての建築家であったといえる。
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