北四番丁との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 06:55 UTC 版)
現在は北四番丁通が利府街道接続のメインルートであるが、仙台市営バスについては利府街道方面へ向かう路線は全て北六番丁通を経由する(但し県庁市役所経由の最東端路線は東仙台営業所行きであり、以東へ向かう路線は設定されていない)。現在は1時間に6~8本(平日)運行されているが、朝のラッシュ時は10本以上に増発される。宮城野区方面からの利用客に配慮し、朝は仙台駅前行、夕方~夜間は東仙台・鶴ヶ谷方面行の本数が多く設定される。北四番丁通の拡幅・延長工事完了後暫くは北四番丁経由新設に伴い減便を余儀なくされた(北六経由:鶴ヶ谷・安養寺・旭ヶ丘駅の3系統、北四経由:東仙台系統)。しかし、両通りが併走する上杉・宮町地区の利用者の半数以上は宮城教育大学附属小学校・中学校、視覚支援学校の関係者であったため、児童・生徒の東仙台線離れが進行し、同線は極端な利用者数減に陥った。このため、現在は広瀬通一番町系統も含めて全便が北六番丁通経由に戻された。 なお、大正時代から昭和初期に作成され国の認証を受けた仙台市の都市道路網計画では、利府街道に直接接続する道路は、現在の定禅寺通の延長線上に考えられていた。北四番丁通はその北側を平行する形で、現在の東仙台2丁目交差点付近で利府街道に合流する計画であった。北六番丁通については特に触れられていない。 北四番丁通と北六番丁通に南北を(木町通と新坂新道に東西を)囲まれた現在地に、東北大学病院・東北大学医学部が置かれたのはその前身である県立宮城病院時代の1911年(明治44年)で、この時北五番丁通が東西に分断された。以後、北六番丁通北側の地に1941年(昭和16年)抗酸菌病研究所(現在の加齢医学研究所)、(旧制)県立第二中学校跡地に1965年(昭和40年)東北大学歯学部が置かれて現在の星陵町を成している。
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