加冠の儀とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 加冠の儀の意味・解説 

加冠の儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/14 12:49 UTC 版)

加冠の儀(かかんのぎ)は、日本の皇室において、男性皇族が成年に達したことを示す伝統的な儀式である。天皇が臨席し、を授けることからこの名で呼ばれる。律令制下の元服に由来し、近代以降も成年儀礼の中心的行事として継承されている。現代では、成年に達した男性皇族のために行われる「成年式」を構成する主要な儀式の一つに位置づけられている。

歴史

奈良時代

九章冕冠と礼服を着用した皇太子。『朝賀図』(1855年)より。

男性皇族の成人儀礼は古来「元服」の儀礼として行われ、その起源は奈良時代にさかのぼる。すなわち、和銅7年(714年)に行われた首(おびと)親王(のちの聖武天皇)の元服である。『続日本紀』和銅7年6月庚辰の条には「皇太子加元服」と記され、ここで「元服を加える」と表現されている[1]。「元」は首または初め、「服」は衣服や冠を指すとされる。しかし、元服式の具体的な内容は記されていないため、加冠の儀が含まれていたのかは不明である。

『続日本紀』延暦7年(788年)正月甲子の条には、皇太子・安殿親王(のちの平城天皇)の元服式が行われたことが記されている[2]。このとき、皇太子傳中納言が加冠の役を務めたとあることから、この頃にはすでに加冠の儀が元服式に含まれていたと考えられる[3]

なお、当時の皇太子の冠は礼服では礼服冠(九章冕冠)である(『養老律令』衣服令)。朝服では一品以下は皀羅頭巾(くりのうすはたのときん)をかぶるが皇太子の朝服の規定はない。皀羅頭巾は平安時代には垂纓冠へと発展するが、当時の加冠で用いられた冠が礼服冠であったのか、皀羅頭巾であったのかは不明である。

平安時代

貞観6年(864年)には清和天皇が即位から6年を経て宮中で元服を行ったことが『日本三代実録』に記されている[4]。このとき、前殿(紫宸殿ではなく東宮の前殿)で元服した天皇に対して、親王以下公卿らが殿庭に列立して拝賀を行った[注 1][5]。その際、大江音人が「唐礼」の元服儀を参考にして儀式文を作成し、これにより加冠・元服式の具体的な形式が確立されたとされる[6]

平安時代には、天皇はおおむね11〜15歳の正月に、皇太子は17歳までに元服・加冠の儀を行うことが慣例となった。

中世・近世

『孝明天皇紀附図』所収、弘化元年(1844年)3月27日の皇太子統仁親王(のちの孝明天皇)の元服図。

中世・近世を通じて、元服式は皇族の成年を示す通過儀礼として継承され、朝儀の中に位置づけられた。

弘化元年(1844年)3月27日、皇太子統仁親王(のちの孝明天皇)の元服式が京都御所紫宸殿で行われた。このときの装束は、黄丹闕腋袍(おうにけってきのほう)、小葵(こあおい)の文の下襲(したがさね)、窠に霰(かにあられ)の文の表袴、紫檀地螺鈿剣、紫緂緒(しだんのお)などであった[7]

近代の闕腋袍と異なる点としては、下襲が続裾ではなく別裾になっていること、剣や平緒の有無などが挙げられる。

明治天皇の元服式は、慶応4年1月15日(1868年2月8日)に、京都御所の紫宸殿で行われた。天皇は紫宸殿の北廂に移り大床子(だいしょうじ)の御座に着座した後、能冠蔵人頭の甘露寺勝長が御髻を整え、空頂黒幘(くうちょうこくさく)を結んだ。その後、天皇は御帳台の御座に移り、理髪権大納言の正親町実徳が幘を解き、加冠式部卿の伏見宮邦家親王が祝詞を奏して冠を加えた。さらに正親町実徳が髪を整え、天皇は一旦北廂に戻って成人の服に改め、再び御帳台に戻って御盃の儀を行い、元服式を終えられた[8]

近代

立太子に及び、空頂黒幘を着用する裕仁親王(1916年、満15歳)。裕仁親王はこの3年後に加冠の儀を執り行った
加冠の儀を終えて昭和天皇・香淳皇后に挨拶を述べる皇太子明仁親王。

大正天皇は、皇太子時代の明治30年(1897年)8月31日に18歳で成年に達したが、元服式は行われなかった[9]

明治42年(1909年)に「皇室成年式令」が制定され、成年に達した天皇および皇族の儀式が正式に規定された[10]。以降は「元服の儀」や「元服式」とは呼ばれず、「成年式」と称されるようになった。

加冠の儀はその中心的な儀礼の一つとされ、宮中三殿賢所大前で行うことと定められた(賢所大前の儀)[9]。この儀式では、成年式を行う未成年の天皇・皇太子・皇太孫・皇族は闕腋袍(けってきのほう)、空頂黒幘を着用することとされ、皇太子・皇太孫の成年式に天皇が臨席する場合には、天皇は黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着用した。

昭和天皇は、皇太子時代の大正8年(1919年)5月7日に、賢所大前で成年式が行われた。すでに立太子の礼を済ませていたため、皇太子の位色である黄丹闕腋袍を着用、臨席した大正天皇は黄櫨染御袍、貞明皇后十二単を着用した[11]

戦後

昭和22年(1947年)に皇室成年式令は廃止された。皇太子明仁親王(のちの上皇明仁)の加冠の儀は、昭和27年(1952年)11月10日に立太子の礼とともに、仮宮殿(現・宮内庁庁舎)の表北の間で行われた[9]。当初は昭和26年(1951年)に予定されていたが、貞明皇后の崩御により延期された。この際、皇太子は黄丹闕腋袍、昭和天皇は黄櫨染御袍、香淳皇后は御小袿(おんこうちぎ)と御切袴(おきりばかま)を着用した[12]

近年では、令和7年(2025年)9月6日、悠仁親王の成年式が皇居宮殿の春秋の間で行われた。悠仁親王は戦後の成年式を受けた8人目の皇族となった[13]

元服の内容

江戸時代以前の元服は身分に応じて作法に違いがあったが、一般に以下の手順を踏んだ[14]

  • 理髪の役:髪を中央で分け、紫の組紐で髷を結い、小刀で毛先を整える。
  • 加冠の役:冠をかぶせ、髪を冠の中に引き入れる。この所作は「引入(ひきいれ)」とも呼ばれた。
  • 能冠の役:天皇の元服にのみ置かれる役で、まず髪を整えてから空頂黒幘(くうちょうこくさく)をかぶせ、理髪・加冠の後に整える。

担当者の序列は厳格で、天皇の加冠の役は太政大臣、理髪の役は左大臣級、能冠の役は内蔵頭が務めた。皇太子も空頂黒幘を用いたが、親王以下は用いなかった。

儀式は原則として正月一日から五日の間に行われ、喪を避け、陰陽師に吉日を選ばせて夕刻から夜にかけて行われた。

また、成人に際しては容姿や装束の変化も伴った。眉毛を剃って上部に墨で円い眉を描く「高眉」や、鉄漿(おはぐろ)で歯を黒く染める「鉄漿つけ」が行われ、衣服も闕腋袍から縫腋袍へと改められた。

装束

成年式(元服式)においては、成年に達した男性皇族が、天皇から授けられた冠を着用する加冠の儀を経て、それまでの未成年装束から成年装束へ改めることが儀式の中心的要素とされる。装束の詳細は時代や身位に応じて異なる。以下は、悠仁親王の成年式における未成年装束および成年装束の内容である[15]

未成年の装束

  • 空頂黒幘(くうちょうこくさく):額に結ぶ冠代わりの額当て。黒羅に十六葉八重表菊紋を刺繍し三山形を三片並べ、紫の紐で結ぶ。高さ約15cm。
  • 闕腋袍(けってきのほう):腋(わき)が縫われていない袍。浅黄色に雲鶴文を織り出し、夏は縠織の単衣。後身の長さ約6m。
  • 表袴(うえのはかま):赤の大口袴の上に穿く。白地の浮織で、窠(か)に霰(あられ)の文様を表し、裏地は赤の平絹。
  • 絲鞋(しかい):白絹の撚糸で編んだ靴。底は白革で、白組紐で足首に結びとめる。
  • 石帯:黒漆塗りの本帯と上手からなる二部式の帯。雲鶴文を彫った瑪瑙の飾石を11個付す。
  • 帖紙(たとうがみ):紅の鳥子紙に金銀切り箔を置いたもの。
  • 笏:イチイ製。
  • 横目扇(よこめおうぎ):檜柾目の薄板を閉じ連ねた檜扇。親橋に6色の飾り糸と「糸花」を付す。

成年の装束

  • 冠(かんむり):黒羅に黒漆を塗った冠。十六葉八重表菊紋を配す。
    • 燕尾纓(えんびのえい):黒羅に菊紋を刺繍し、裾広がりに垂下する。平安朝の纓の古い様式で、特に加冠の儀に用いられるものとして伝えられている。
    • 垂纓(すいえい):平安時代後期以降の様式で、冠に差し込み後方に曲げて垂れる。天皇の御立纓に対し、親王や皇太子が用いる纓であり、身位に応じて曲がり方に差がある。
  • 縫腋袍(ほうえきのほう):腋を縫い綴じた文官の袍。黒地に雲鶴文を織り出し、裾には「襴」を付す。
  • 表袴:未成年と同じ仕様。
  • 鞾(かのくつ):黒塗り革靴。上部に赤地蟹牡丹文の大和錦「靴氈」を付ける。
  • 石帯:未成年用と同じ。
  • 帖紙:白檀紙に金銀切り箔を置いたもの。
  • 笏:未成年と同じ。
  • 檜扇:檜の白木の薄板を重ね閉じた扇。親橋に菊紋を置文として配す。

素材の違い

夏の料は精錬していない生糸を用いるため張りが強く、冬の料は練糸を含み光沢が強く柔らかい仕上がりとなる。悠仁親王の成年式では、夏の料が用いられた。

成年式とその関係諸行事

加冠の儀は、現代においては「成年式」を構成する主要な儀式の一つである。成年式は、冠を賜うの儀にはじまり、加冠の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、朝見の儀、勲章親授など、複数の儀式によって構成される。以下では、加冠の儀を含む成年式およびそれに続く一連の諸行事について述べる[16]

令和7年(2025年)悠仁親王の成年式の例

悠仁親王成年式関係儀式等一覧(令和7年)
日付 時刻 事項 装束 場所
9月6日(土) 午前 冠を賜うの儀 モーニングコート 秋篠宮邸
午前 加冠の儀 闕腋袍、空頂黒幘 皇居宮殿 春秋の間
午前 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀 縫腋袍 宮中三殿
午後 朝見の儀 燕尾服 正殿松の間
午後 勲章親授 燕尾服 表御座所
午後 祝賀(宮内庁長官はじめ) 千草・千鳥の間
午後 上皇上皇后両陛下へご挨拶 燕尾服 仙洞御所
ご内宴 帝国ホテル
9月8日(月) 神宮御参拝、神武天皇山陵御参拝 伊勢神宮・神武天皇陵
9月9日(火) 昭和天皇山陵御参拝 多摩陵
9月10日(水) 午後 午餐 明治記念館

主な儀式の内容

  • 冠を賜うの儀:勅使が秋篠宮邸を訪れ、冠を授ける儀式。
  • 加冠の儀:天皇・皇后の臨席のもと、皇居宮殿「春秋の間」で冠を加える儀式。未成年装束から成年装束へ改める重要な節目とされる。
  • 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀:宮中三殿に拝礼し、告文を奏上する。
  • 朝見の儀:天皇・皇后に成年の挨拶を行う。
  • 勲章親授:天皇から大勲位菊花大綬章を授与される。
  • 祝賀:宮内庁長官らが拝謁し、悠仁親王に成年の祝賀を述べる。
  • 上皇上皇后両陛下へのご挨拶:悠仁親王が仙洞御所を訪れ、上皇・上皇后に成年を迎えたことを挨拶する。
  • 御参拝:伊勢神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵に参拝。

女性皇族の成人儀礼

女性皇族に対しても古くは、を腰に結ぶ「裳着(もぎ)」もしくは「着裳(ちゃくも)」と呼ばれる成人儀礼が行われていたが[17]、明治期の「皇室成年式令」には規定されず、制度としては途絶した[18]

現代の女性皇族は、ティアラローブ・デコルテを着用して成年を迎え、天皇から勲章を授与され、天皇・皇后に拝礼することが中心行事となっている。

令和3年(2021年)12月に敬宮愛子内親王が成年を迎えた際には、宮中三殿参拝の後、宮殿で宝冠大綬章を授与され、皇族や三権の長から祝賀を受けた[19]。平成時代に成年を迎えた黒田清子(紀宮清子内親王)のときには宮殿での祝宴や赤坂御所での茶会が催されたが、愛子内親王の際は新型コロナウイルス感染症の影響により祝宴は行われなかった。

意義

加冠の儀は、男性皇族が成年に達したことを公式に確認し、社会的地位と皇位継承順位に基づく立場を内外に示す通過儀礼である。

脚注

注釈

  1. ^ 該当箇所の原文は、「大雨雪。天皇加元服。 御前殿。 親王以下五位已上入自閤門。於殿庭拜賀 。禮畢退出」。

出典

  1. ^ 藤原, 継縄、菅野, 真道 編『続日本紀 40巻 [3]』1657年、30頁。doi:10.11501/2563115https://dl.ndl.go.jp/pid/2563115 
  2. ^ 黒板, 勝美 編『国史大系 第2巻 新訂増補』国史大系刊行会、1935年、527頁。doi:10.11501/3431614 
  3. ^ 所 1985, p. 478.
  4. ^ 黒板, 勝美 編『日本三代實録 3版 (國史大系 : 新訂増補 ; 第4卷)』大八洲出版創立事務所、1944年、121頁。doi:10.11501/3456452 
  5. ^ 鈴木, 亘『平安宮内裏の研究』中央公論美術出版、1990年12月、199頁。doi:10.11501/13283826 
  6. ^ 所 1985, p. 463.
  7. ^ 宮内省先帝御事蹟取調掛 編『孝明天皇紀 第1』平安神宮、1967年、116頁。doi:10.11501/2998458 
  8. ^ 明治神宮奉賛会 編『聖徳記念絵画館壁画集 乾 解説』明治神宮奉賛会、1932年。doi:10.11501/13004589https://dl.ndl.go.jp/pid/13004589/1/7 
  9. ^ a b c 藤樫 1989, p. 55.
  10. ^ 植木 1986, pp. 419–429.
  11. ^ 昭和天皇 : Hirohito the Emperor of Japan 特別写真集』学習研究社、181頁。doi:10.11501/12673544https://dl.ndl.go.jp/pid/12673544/1/185 
  12. ^ 萩萩月『天皇陛下を語る : 日本人の魂に捧ぐ 訂』愛花書院、1953年、305頁。doi:10.11501/3007183https://dl.ndl.go.jp/pid/3007183/1/173 
  13. ^ 40年ぶりの儀「成年式」、奈良時代から1300年の歴史…悠仁さまは戦後8人目”. 読売新聞 (2025年9月6日). 2025年9月10日閲覧。
  14. ^ 第31回 成人の儀式―古代から近世まで―”. 国立国会図書館 (2022年4月). 2025年9月9日閲覧。
  15. ^ 加冠の儀及び賢所皇霊殿神殿に謁するの儀に関する装束について”. 宮内庁 (2025年9月6日). 2025年9月9日閲覧。
  16. ^ 悠仁親王成年式関係儀式行事等一覧”. 宮内庁 (2025年9月4日). 2025年9月10日閲覧。
  17. ^ あかね会 1975, p. 798.
  18. ^ 成年式「重い立場自覚の好機」 悠仁さまは次世代の皇位継承者―所功・京産大名誉教授。”. 時事通信 (2025年9月4日). 2025年9月10日閲覧。
  19. ^ 悠仁さまの成年式、始まりは聖武天皇の元服? 先例重ね変遷した儀式”. 朝日新聞 (2025年9月6日). 2025年9月10日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  加冠の儀のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加冠の儀」の関連用語

加冠の儀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加冠の儀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの加冠の儀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS