劇団近代座〜各社との提携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 10:10 UTC 版)
「五月信子」の記事における「劇団近代座〜各社との提携」の解説
その後は「近代座」の舞台に専念するが、1927年1月に阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画と提携し、山上紀夫監督『切支丹お蝶』に主演。次いで「近代座プロ」を興し、やはり阪妻プロと提携、『大陸を流るゞ女』に主演。翌1928年には、大量のスターが脱退したマキノプロダクションに招かれ、提携作品を制作する。マキノでは、マキノ省三指揮の『鬼神』前後篇、マキノ雅裕監督の『毒華』で、何れも毒婦役を演じて評判となり、「毒婦役者」の代名詞的存在となった。翌1929年には、小沢得二が設立した小沢映画聯盟に客演し、『ラシャメンの父』、『半人半獣』に夫婦で出演。翌1930年には、発声映画社大森撮影所制作のミナトーキー『仮名屋小梅』(葛見丈夫監督)に主演した。 その後は舞台に専念し、大阪・楽天地の中央館、京都座、神戸・松竹劇場など関西を拠点に活動を続ける一方、地方巡業も積極的に行い、遠くは朝鮮・満州にまで足を延ばした。この間、月宮乙女、月浦かすみ(後の大倉千代子)、姪で養女の月澄江など、後に映画界でも活躍する女優を育てた。また、若き日の志村喬も「近代座」に一時在籍していた。1933年の6月から7月まで、浅草・公園劇場で、『お蝶夫人』、『高橋お伝』などを出し物に、近代座創立8年記念興業を打つ。この後、高橋義信と離婚した。
※この「劇団近代座〜各社との提携」の解説は、「五月信子」の解説の一部です。
「劇団近代座〜各社との提携」を含む「五月信子」の記事については、「五月信子」の概要を参照ください。
- 劇団近代座〜各社との提携のページへのリンク