創立までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 10:15 UTC 版)
1936年、日本ホーリネス教会(きよめ教会)の伝道師であった大槻武二は瀋陽(中国)での開拓伝道の任命を受け、奉天聖潔教会に赴任。1938年1月9日、御名による聖霊のバプテスマを体験し、キリストの内住を確信するに至る。以降、大槻の祈りによって活発に聖書に書かれているような神癒(病の癒し)が起こるようになる。(その中には死者の復活も含まれているとされる)その後、大槻はいったん帰国。1940年、牧師按手礼を受け、翌1941年東亜伝道会から再び中国へ派遣される。同年11月の大連での神癒集会から、リバイバル運動のうねりが起こり、中国全土に一大センセーションが巻き起こったとされている。聖イエス会の記録によると1942年7月24日の旅順信義会聖会までの9ヶ月間で228回の集会が開かれ、神癒の恩恵にあずかった者の数は8025名にのぼった。一方、時を同じくして日本では「きよめ教会」が国家によって弾圧を受け、1942年にはいわゆる「ホーリネス教会弾圧」が起こり、多くの牧師が投獄されたが、大槻は中国で伝道に従事していたため難を逃れた。大槻は1942年8月帰国、その後日本国内で巡回伝道師なり、全国からの招聘を受け、教派を越えて集会をもった。このとき伝道活動を行った京都市・神戸市(兵庫県)・平塚市(神奈川県)・福山市(広島県)・福井市などが、後に聖イエス会発会の基盤となった。大槻はその後も超教派での活動の継続を考えていたが、1946年、神の導きを受け、聖イエス会創立を決意した。
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