創立の経緯と趣旨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 04:16 UTC 版)
前近代的な画塾の旧弊を嫌った西山英雄は1958年(昭和33年)、伯父西山翠嶂が没すると、西山翠嶂画塾青甲社を継承せず、解散することに決めた。その際、旧青甲社の塾員の中から、いくつかの研究グループが誕生した。ひとつは西山英雄よりも年長者を中心とする「牧人社」、ひとつは若手を中心とする「朴土社」である。グループ朴土社の創立の趣旨には「お互いの個性を尊重し益々自由に伸ばせる様、真剣な研究会を持ち、切磋琢磨し、又機会を得て発表し、皆様の御批判を頂き、斯道に努力したい」とあり、西山英雄の指導を仰ぎながら、メンバーは互いに対等な研究会として発足、現在に至っている。画塾のように指導者を決めず、また、塾員の補充を行わないことも特徴。
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