創始と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:34 UTC 版)
「パシフィック・サウスウエスト航空」の記事における「創始と発展」の解説
パシフィック・サウスウエスト航空は1949年にケニー・フリードキン(Kenny Friedkin・英語版)によって設立された。フリードキンはパイロット養成学校経営とその教官を、その後個人運営の航空会社と事業失敗を重ねていたがある旅行代理店からアドヴァイスを得て夫人と再起し、リースしたダグラスDC-3によって週に1度のサンディエゴ発バーバンク経由オークランド行の往復線を開設した。設立当初航空券の予約は第二次世界大戦中に作られあまっていたトイレを改装したチケット売り場で受け付けられていた。1951年にはサンフランシスコ湾を横断しサンフランシスコに就航し、1955年にはキャピタル航空から2機のDC-4を購入したが、このときDC-4の外装をより新しい機材であるDC-6に似せた塗装(楕円型の客室風防に額で四方を黒く塗りつぶしDC-6の正方形状風防へ偽装)を施していた。 1960年代、ロッキード L-188をサンディエゴ - サンフランシスコ線に投入し、さらに60年代終盤にはボーイング727-214とボーイング737-214に入れ替えた。このロッキード L-188に関しては、当初は利益が見込めないと判断し退役させる予定だったが、パシフィック・サウスウエスト航空が発注したL-188は後部にラウンジを設けた特殊なインテリアをしていたためサクラメント、サンノゼ、ロングビーチ、オンタリオといったカリフォルニア州の都市間ネットワークを拡充するのに中古機を含めた延べ9機が使用された。1975年にL-188のハブがサンディエゴ国際空港からレイク・タホ空港(Lake Tahoe Airport・英語版)に移され1979年に退役した。 しかし1978年にアメリカで航空業界の規制緩和が行われたことにより、パシフィック・サウスウエスト航空をはじめエア・カリフォルニア、ウェスタン航空、ユナイテッド航空などカリフォルニア州の主要な航空会社は運賃戦争に突入した。そのなかでパシフィック・サウスウエスト航空はリノ、ラスベガス、ソルトレイクシティ、フェニックス、ツーソンといったカリフォルニア州外の西部の都市へと路線を拡げていき、主要空港に自動発券機と自動チェックイン機の導入を行うなどしたほかメキシコのサンルーカスに国際線を開設した。またダラスにあり倒産したブラニフ航空を買収しようと画策したりワシントン州やオレゴン州、アイダホ州にも路線を伸ばしたりと積極的に事業を拡大していき、西海岸のユーレカやコンコードのような小都市には新しくBAe146を投入した。このBAe146につける名前についてパシフィック・サウスウエスト航空は新聞に全面広告を出し公募して、「Smiliner」という名前に決定した。
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