創作物における歴史とは? わかりやすく解説

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創作物における歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)

忠臣蔵」の記事における「創作物における歴史」の解説

元禄16年書かれた『赤穂鍾秀記』にはすでに大石瑤泉院別れ場面描かれている。 『赤穂鍾秀記』によれば瑤泉院のもとに内蔵助がやってきて「近々遠国へ行くために御暇乞い挨拶に来た」と言い、昔の事を話して帰っていった。去り際内蔵助瑤泉院お付きの侍に歌書入っていると称する一封渡していった。12月15日、まだ討ち入りについて知らないうちに封書をあけると、中には瑤泉院から預かった金子千両使い道書いた書類入っていた。 天保7年 - 明治5年1836年 - 1872年)に書かれ為永春水の『正史伝いろは文庫』の第七回にもすでにこの話が載っている。 また明治4年1871年10月16日守田座初演の左団次一座による河竹黙阿弥作『四十七石忠箭計しじゅうしちこくちゅうやどけい)』でもこの場面描かれている。 『南部坂雪の別れ』はその後桃中軒雲右衛門口演により浪花節人気演目をになり、明治45年1912年)には口演筆記本も出ている。 さらに同じく明治45年1912年)には立川文庫本にもこの話は収録され、 1910 - 1917年尾上松之助による忠臣蔵映画にもこの場面登場する。 また昭和13年1938年11月には、今日でも上演される真山青果元禄忠臣蔵一編として『南部坂雪の別れ』が歌舞伎座上演されている。 戦後忠臣蔵映画調査した谷川建司によると、映画ドラマにおける「南部坂雪の別れ」の瑤泉院描写時代により変化しているという。今日ドラマでは、瑤泉院大石本心偽っている事に気づかずに大石罵るいわば「浅はかな女」という「ネガティブな」描かれ方をされるが、これは映画忠臣蔵黄金期末期にあたる1962年公開された『忠臣蔵 花の巻・雪の巻以降忠臣蔵主力テレビドラマ移ってからの描かれ方で、それ以前映画では、口には出さずとも大石真意気付映画もあり、本心気付かなかったお詫び討ち入り後の内蔵助会い雪の中を駆けつけるものもある。

※この「創作物における歴史」の解説は、「忠臣蔵」の解説の一部です。
「創作物における歴史」を含む「忠臣蔵」の記事については、「忠臣蔵」の概要を参照ください。

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