前身となる部門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:13 UTC 版)
「ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ」の記事における「前身となる部門」の解説
「ウォルト・ディズニー・カンパニー#歴史」も参照 ウォルト・ディズニー・スタジオの前身は、1923年に映画監督のウォルト・ディズニーと、彼のビジネスパートナーである兄のロイによって、ディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ(Disney Brothers Cartoon Studio)として設立された。 ミッキーマウスをはじめとする短編映画やグッズの制作で収益を上げ、1926年にはハイペリオン・スタジオのウォルト・ディズニー・スタジオ(The Walt Disney Studio)と改称した。1929年には再びウォルト・ディズニー・プロダクション(Walt Disney Productions)と改称。1937年に公開された初の長編アニメーション映画『白雪姫』は、経済的に大成功を収めた。『白雪姫』で得た利益をもとに、ウォルトはカリフォルニア州バーバンクにある第3スタジオに移転した。 1940年代に入ると、ディズニーは長編実写映画に挑戦し始め、『リラクタント・ドラゴン』(1941年)や『南部の唄』(1946年)など、実写とアニメーションのハイブリッド作品を発表した。同じ年代に、スタジオは自然ドキュメンタリーの制作を開始し、『自然と冒険記録映画』シリーズの第1作『あざらしの島』(1948年)を発表した。 ウォルト・ディズニー・プロダクションは、1950年に『宝島』で初めて完全な実写映画を製作した。1953年には、RKOラジオ・ピクチャーズやユナイテッド・アーティスツといった第三者配給会社との契約を解消し、独自の配給会社ブエナ・ビスタ・ディストリビューションを設立した。1950年代には、L.フランク・ボームの作品の映画化権を取得した。
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