前線部隊の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 13:56 UTC 版)
対ソ防衛戦は満州国各地、及び朝鮮半島北部などにおいて広範に行われた。全体的には日本軍が終始戦力格差から見て各地で一日の間に陣地を突破される事態が各地で発生し、突破された部隊は南方への抽出を受けて全体的に戦力が低下しており戦況を立て直すことができず、いとも簡単に前線陣地を突破され逃げることがほとんどであった。北正面・東正面に戦力を集中していた関東軍は西正面に投入されたソ連軍の機械化戦力を阻止できず内陸部への進撃をゆるしてしまった。関東軍が主力を集中した北部・東部でも濃密な火力支援をえたソ連軍の機動により、国境要塞群は分断・包囲され次々と無力化され破壊されていった。国境要塞は基本的に関東軍が想定していた効果を発揮できなかった。各国境要塞は開戦後間もなく制圧され、五家子要塞にいたってはわずか半日で陥落した。虎頭・東寧要塞はもちこたえたが国境要塞陣地の壊滅は、関東軍の反撃計画を瓦解させた。 しかし、編成が終了したばかりの新兵と不十分な装備という弱い部隊を、強大なソ連軍が進撃してくる戦場正面に投入したが、交戦前に混乱状態に陥った部隊は皆無であった。例えば第5軍は、絶望的な戦力格差があるソ連軍と交戦し、少なからぬ被害を受けたものの、1個師団を用いて後衛とし、2個師団を後方に組織的に離脱させ、しかも陣地を新設して邀撃(ようげき)の準備を行い、さらに自軍陣地の後方に各部隊を新たに再編して予備兵力となる予備野戦戦力を準備することにも成功している。このことから、非常に優れた指揮の下で円滑に後退戦が行われたことがうかがえる。 また既存陣地(永久陣地及び強固な野戦陣地)に配備された警備隊は、ほぼ全てが現地の固守を命じられていた。これは後方に第2、第3の予備陣地が構築されておらず、また増援が見込めない為である。そのため後退できない日本軍の警備隊は、圧倒的な物量作戦で波状攻撃をかけるソ連軍に対して各地で悲愴な陣地防御戦を行い、そのほとんどが担当地域で壊滅することになった。
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