前史:RNAのらせん構造
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「分子生物学の歴史」の記事における「前史:RNAのらせん構造」の解説
RNAの構造生物学の最初期の研究は、多かれ少なかれ、1950年代初頭にDNAに行われた研究と一致していた。ワトソンとクリックは1953年の重要な論文において、リボースの2'位のヒドロキシル基によるファンデルワールス的な混雑のため、RNAは彼らが提唱した、現在ではB型DNAとして知られているモデルと同一の構造をとることはできないことを示唆した。このことから、RNAの三次元構造についての疑問が生じた。この分子は何らかのらせん構造を形成することができるのだろうか、もしそうだとしたら、それはどんなものだろうか?DNAの場合と同じく、RNAの初期の構造的な研究は、繊維回折実験のための内在RNA多量体の単離を中心に行われた。部分的には試料の不均質さのために、初期の繊維回折パターンはたいてい曖昧で、容易に解釈することはできなかった。1955年、マリアンヌ・グリュンベール=マナゴ(英語版)らはポリヌクレオチドホスホリラーゼ(英語版)について記述した論文を発表した。この酵素は、ヌクレオシド二リン酸からリン酸を除去し、ヌクレオチドの多量体化を触媒した。この発見によって均質なヌクレオチドの多量体を合成することが可能となり、それらを組み合わせて二本鎖の分子が造り出された。これらの試料は、これまでに得られたものの中で最も容易に解釈可能な繊維回折パターンを作り出し、正しく塩基対を形成した二本鎖RNAは規則的ならせん構造で、DNAで観察されたものとは異なる形状であることが示唆された。これらの結果は、RNAのさまざまな性質や傾向についての一連の調査への道を開いた。1950年代後半から1960年代初頭にかけて、RNAの構造に関するさまざまなトピックについて、多数の論文が発表された。それらの中には、RNA-DNAのハイブリッド、三本鎖RNA、らせん状に配置された2ヌクレオチドのRNA (G-CとA-U) の小スケールの結晶構造までもが含まれていた。RNA構造生物学の初期の研究に関するより詳細なレビューとしては、アレクサンダー・リッチによる The Era of RNA Awakening: Structural biology of RNA in the early years が挙げられる。
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