刻像塔
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刻像塔の造立数は極めて少なく、分布も限定的である。神奈川県では地神塔706基のうち27基が刻像塔である。その他の県では、群馬県、兵庫県、大分県、佐賀県に1基ずつあるにすぎない。 群馬県館林市の茂林寺には1694年(元禄7年)造立の刻像塔があり、矛と鉢を持つ武装天部形である。 神奈川県の刻像塔では1740年(元文5年)のものが最も古く、1847年(弘化4年)が最も新しい。像容は、堅牢地神の武神像が18基で多く、女神像が4基ある。神官風の像、如来像、勢至菩薩像があるほか、南足柄市には土公神像が1基ある。藤沢市西俣野にかつて存在した神札寺は堅牢地神の御影を発行しており、神札寺の御影と同様式の刻像像が藤沢市内に6基、横浜市や鎌倉市、厚木市のものを含めて合計12基あることから、神札寺の影響が指摘されている。 天社神、后土神および五神名地神塔は文字塔のみであり、刻像塔は確認されていない。
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刻像塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 12:53 UTC 版)
巳待の刻像塔には、弁才天像、宝珠像、人面蛇身像などが彫られる。弁才天像には二臂、六臂、八臂のものが見られ、八臂のものは左手に鉾、輪宝、宝弓、宝珠を、右手に剣、宝棒、箭、鑰を持つ。これは『金光明最勝王経』に説かれた像容とは異なっており、偽経とされる『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』に拠ると考えられている。江戸時代の仏画集『仏像図彙』に描かれた「八臂辨財天」も偽経に説かれた像容となっており、本来の弁才天信仰とは異なる、宇賀神と習合した財宝神としての弁財天信仰が偽経とともに広まったことを示している。 二臂や六臂の弁才天像も左手に宝珠、右手に剣を持ち、頭上に鳥居を飾るものが多い。宝珠像は、宝珠を象った石に宝珠形の穴を作ったり三段重ねにする。人面蛇身像は、とぐろを巻いた蛇身に菩薩や天女の面を載せ、さらにその頭上に蛇を飾るものもある。宝珠像と人面蛇身像についても前述の偽経に拠ると考えられている。 埼玉県大里郡寄居町鉢形の良秀寺参道には、聖観音菩薩を主尊とし「巳待供養佛」と刻まれた1737年(元文2年)造立の巳待塔がある。 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町の薬王寺入口辻には、地蔵菩薩を主尊とし「巳待供養延命地蔵」と刻まれた1721年(享保6年)造立の巳待供養地蔵がある。 神奈川県厚木市の大釜弁財天には、台座に「文政五年壬午天四月朔日 蛇形弁財天 願主七沢村中」と刻まれた蛇身の弁財天があり、4月初巳の宇賀神祭りで豊蚕の祈願をした。
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