初期:1848–77年
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「グイド・フォン・リスト」の記事における「初期:1848–77年」の解説
グイド・カール・アントン・リストは、1848年5月5日にオーストリア帝国のウィーンで、裕福な中産階級の家庭の長男として生まれた。祖父カール・リストは酒造業と居酒屋を営み、父カール・アントン・リストは皮革製品の販売業者であった。母マリアン・リストは、建築業者フランツ・アントン・キリアンの娘である。リストは、ドナウ運河の東側のウィーンの第二行政区で育った。当時の多くのオーストリア人と同様、彼の家族もローマカトリック教会の信者であり、リストもまたウィーンの聖ペテロ教会で幼児洗礼を受けていた。ブルジョワ階級として彼の家族がいかに裕福であったかは、1851年に、リストの水彩の肖像画が、画家の手によって描かれていることからも分かる。 グイド・リストは幸福な少年時代を過ごしたようである。リストは、都市部よりも農村地帯への関心を強め 、家族とともにニーダーエスターライヒ州やモラヴィアの田園地帯を訪れるのを喜んだ。父に勧められて、グイド・リストは、城や前史時代の遺跡や自然の風景のスケッチを始めた。彼はキリスト教以前の宗教に関心を持ち始め、シュテファン大聖堂の下のカタコンベ(地下墓所)が、異教の神に捧げられた祠だったと信じるようになる。彼の主張によれば、1862年にカタコンベに父と訪れたとき、グイド・リストは壊れた祭壇の前でひざまづき、大人になったら古代の神ヴォータンの寺院を建設すると誓ったという。
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